【本】17092『問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論』エマニュエル・トッド

投稿者: | 2017-07-08

トッドの最新作。序章の翻訳調に読むのをやめようかと思ったが、読み進めると意外にも大変おもしろかった。

トッドの家族研究からの考察は面白い。核家族のアングロサクソンは世代間での連続性がない。
その結果、受け継ぐこともない代わりにイノベーションも起きやすい。
しかし、中国は直系家族系統にもかかわらず、世代を超えると激変する。トッド理論の反例になりうるかもしれない。

トッドはフランス人らしく、ネオリベの価値観に賛成していない。個人の自立を重視するくせに、個人の自立を確立させるために社会的なサポートに支えられていることを無視するなと。
確かに、個人が自立するために必要なインフラは社会が支えないといけないのは事実。

やはり日本の人口問題の深刻さについて述べている。日本の少子化問題は、国外でもこれほど深刻にみられているにもかかわらず、相変わらず放置に近い状態…。
大丈夫なのだろうか。

ロシア人たちは、およそ一五年の歳月を経てようやく、経済的に、技術的に、軍事的にアメリカを恐れる必要から解放されたのです。ロシアがもはやアメリカを恐れていないことは、ジョージア〔グルジア〕問題、クリミア問題、シリア問題と、段階を追って次第に確認できました。

か。我が国にはエリート育成に特化したグランゼコールがあるのに……。グランゼコールがコンスタントに輩出しているのは、尊大で他人を見下すようなエリートです。  私が心配するのは、ああしたよく訓練された優秀な学生たちが、民衆から自分を区別することに汲々とするプチ・ブルジョワにとどまっているのではないかということです。つまり、モンテスキューが大事にした高貴な自由という概念に、グランゼコールの出身者はまったくアクセスできていないのではないか。

う。すなわち、ドーバー海峡の向こう岸〔イギリス〕では再建、こちら側のヨーロッパ大陸では解体。それこそが、これからやって来る年月のプログラム

いきなり「人間とは何か?」と自問して、観念から出発するから歴史を見誤ってしまうのです。そうではなく、まず無心で歴史を見る。すると、むしろ歴史の方が「人間とは何か?」という問いに答えてくれます。何よりも歴史を観察することが大事です。

最近、「自由主義〔リベラル〕の社会は本当に自由〔リベラル〕なのか?」

フランス、イギリス、アメリカと比較すれば、日本社会は「自由な〔リベラル〕文化」ではなく、ヒエラルキーの社会です。年長者と話をするときには気を遣うなど、何でも好きなことを率直に言えるわけではない。

つまり、「人間の自由には限界がある」ことを認識できるという意味で、「自由」に対して一定の諦念があるという意味で、日本人は、少なくとも内面的により自由

先進国のナルシシズムとも関わる問題で、『シャルリとは誰か?』のテーマでもあります。私の現在の主要な問題関心の一つで、一言で言えば、「リベラルな文化の盲目性」

一%の超富裕層の存在を許し、庶民層の生活水準の低化を放置しているのは、中産階級だから

いずれにせよ識字化、高等教育の進学率、といった教育に関わる指標が鍵を握っているわけです。

先進国の「中産階級」を定義するとすれば、高等教育を受けた層ということになります。今日の「中産階級」とは、高等教育によってつくられた新しい階層なのです。

「パパ・ママ・子供」という核家族こそ、最も原始的な家族形態だったということです。しかも、人類史の出発点においては、核家族という家族形態が人類共通のものとして存在していたのです。最初のホモ・サピエンスは、父系制とも、母系制とも同定されない、双系制の核家族〔若い夫婦は夫の家族集団と妻の家族集団のいずれにも所属できる〕の形態で暮らしていた

たとえば、出生率を見ますと、アメリカとフランスは約二・〇であるのに対し、ドイツと日本は約一・四です。これには家族システムの違いが影響しています。父系的な権威主義が強いドイツと日本では、女性が仕事と子育てを両立させるのが難しく、出生率が低下し、それが問題視されても、なかなか突破口を見出せない

場所が、家族に劣らず、その場所で認められている諸価値を伝達する

学校、街、近所、企業など、家族よりも広い環境で、漠然とした軽い模倣プロセスによって再生産される「弱い価値」の伝達の方が、実は重要だったのです。たとえば、学校や地域社会の影響に抗して家族内だけで子供を教育しようとしても、その試みは初めから失敗する運命にある

私の目を引いたのは、日本だけ「無回答」が多いことでした(笑)。どう解釈すればよいのかまだ分かりませんが、これは、日本人に関する何かを示しているはず

核家族は個人を解放するシステム、個人が個人として生きていくことを促すシステムですが、そうした個人の自立は、何らかの社会的な、あるいは公的な援助制度なしにはあり得ません。

ネオリベラリズムの主張の根本的矛盾があります。個人の自立は公的・社会的援助制度、つまり今日の文脈で言えば、国家を前提としているのに、そのことを理解していない

直系家族の場合は構造が核家族よりも複雑で、家族内の連帯がより大きな役割を果たし、そのぶん核家族ほど国家を必要としません。直系家族の社会文化では、多くのことが国家ではなく家族に依存します。

国家こそ、個人の自由の必要条件です。「個人」の成立には「国家」が必要なのです。過去の政治哲学者たちは、そのことをよく理解していまし

「国家によって個人が解放される」「国家は、家族、親族、部族といった関係から、個人を解放する」と。アングロサクソンのネオリベラリズムは、このことをすっかり忘れています。実際、家族や親族や部族の方が、国家よりも全体主義的であることが多いにもかかわらず、です。

日本について、「家族の過剰な重視が、家族を殺す」と述べたことがあります。「家族」というものをやたらと称揚し、すべてを家族に負担させようとすると、かえって非婚化や少子化が進み、結果として「家族」を消滅させてしまう

アメリカの学問は完全に経済学中心となり、単純な「ホモ・エコノミクス」のモデルを世界中に適用しようとしています。左派・右派を問わず、フリードマンにしろ、スティグリッツにしろ、クルーグマンにしろ、経済学モデルですべてを説明しようとする。実に貧しいものの見方です。世界の多様性を認めない、攻撃的で単純な普遍主義

社会全体への関心を失い、自分の階層の関心ばかりをテーマにしている。高等教育を受けた層の全体がナルシスト化している

大きな揺れ動きは、アングロサクソンの絶対核家族の構造に起因していると考えられます。直系家族のドイツや日本が親子間の継続性を重視するのに比べ、親子間が自由な関係にあり、子供がまったく新しいことを始めるわけです。世代ごとに大きく変化を遂げ、「世代」が大きな意味をもつ文化なのです。

「世代」が大きな意味をもち、「世代」ごとに大きく変化するのが、アングロサクソン社会の特徴です。イギリス〔絶対核家族〕とフランス〔平等主義核家族+直系家族〕を比較すると、そのことがよりクリアに見えてきます。

アメリカが中東の原油をコントロールするのはむしろ、ヨーロッパと日本をコントロールするためなのですよ。

ヨーロッパと中国は不安定な極です。それに対し、ロシアとイランは安定化しつつある極です。アメリカ人が賢ければ、安定的な勢力と協力すべきなのです。その点、イランとの関係改善は評価できます。

イランは、イスラム革命を成し遂げましたが、あれも「民主的な」宗教改革と見ることができます。人類学的・文化的に見て、イラン人は西洋人に近く、国家建設の伝統をもっています。ですから、アングロサクソンの歴史のなかで育った人間ならば、シーア派の方に親近感を覚えるはず

アメリカの寡頭政治とサウジアラビアの寡頭政治の間には、何らかの共通性、内的な共感、隠れた親和性が存在するのではないか?

ロシアの関心は領土の拡張にありません。すでに広大な国土を有しているからです。問題はむしろ、広い国土に対する人口の少なさです。領土ではなく人口こそ、ロシアの問題なのです。  ロシア語を話せる教育水準の高い移民の増加はロシアには願ってもないことで、人口学的なボーナス

「中国は超大国」というのが神話にすぎないことは、たとえばグラフ4を見ていただければ一目瞭然です。高等教育の進学率が五%未満で、他国と比べて極端に低い水準にあります。これだけでも、中国は、他の先進国より半世紀ないしは一世紀遅れている

日本のパートナーにふさわしいのはアメリカとロシアです。  

そんな日本にも、一つだけ問題があります。人口問題です。日本の最高の長所は日本の唯一の問題にもなりえます。それは完璧さに固執しすぎることです。少子化を放置し、移民も受け入れないとすれば、日本社会そのものが存続できません。

出生率を上げるには、女性により自由な地位を認めるためには、不完全さや無秩序も受け入れるべき

中国はGDPで日本を抜き、世界第二位の経済大国になりました。しかし、実体が伴っていません。GDPの内容を分析すると、全体の四〇から五〇%を公的機関や民間によるインフラ整備などの設備投資〔総固定資本形成〕が占めています。

中国の現在の高等教育への進学率は一七%程度で、これは一九〇〇年ごろの欧州の数字とほぼ同じ。つまり、一定の教育を受けたけれども高等教育には進まない層が、マジョリティを占めている。この状態は、どこの国でもナショナリズムが激しく燃え上がる危険性を秘めているのです。実際に一九〇〇年ごろの欧州では、まさに人々がナショナリズムに没頭していきました。だから、いまの中国は危険

中国を過度に恐れたりヒステリーやパニックに陥ったりすることなく、合理的で理性的でプラグマティックな態度で臨んでほしいということです。これからの日本に最も求められるのは、そういう意味で、自分をうまくコントロールする力ではないでしょうか。

現在、フランスは〝夜の闇〟に沈没しつつあります。それをもたらしているのは、多くの犠牲者を出したテロそのものではありません。非常に力を持っている中産階級〔社会全体の上位半分〕が、移民や若者といった下位の階級の人々に対して利己的な態度を取ることによって、社会がそういった人々を吸収・統合する能力を失っている現象

アルジェリア人からこんな話を聞いたことがあります。くだけた表現ですが、「なんでヨーロッパ諸国は、あなた方の〝クソみたいなもの〟をこっちへ送ってくるのか」と。ジハード戦士をイスラム社会から出てきたものとは見做していない

私は基本的には移民の受け入れに賛成の立場です。しかしながら、移民の受け入れは、人々の文化的な差異に注意しながら慎重に進めるべき事柄であることも事実

経済的な基盤が他のヨーロッパ諸国よりも強固なドイツは、外から来る者を経済的に受け入れる能力は高い。底辺の労働力を求めているからです。ところが、すでにドイツに多数存在する移民を見ると、残念ながら必ずしも統合に成功しているとは言えません。

経済的な危機と、宗教的な空白の重なるときが、非常に危ないのです。

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