【本】17049『ヒト、動物に会う_コバヤシ教授の動物行動学』小林 朋道

投稿者: | 2017-03-26

動物大好き小林先生の、研究歴を語った本だ。
なかなかおもしろかった。

やはり、動物行動学と経済学を一緒に勉強するのは楽しそうだ。
両方とも、「自らの遺伝子(資源)を効率よく残すこと」を目標とするものだ。
経済学は、いわば「ヒトの動物行動学」とも言える。

ノーベル賞を受賞したジェームズ・ワトソンの次のような言葉を見つけた。「実験をするのは易しい。それだけ実験に時間を使いすぎて、考えたりいろいろ議論したりする時間が足りないですね。私たちの頃は、夏の間中実験をせず、秋になったらどのような実験をすべきか話し合った」「いまの若い人たちは守備範囲が狭いと感じます。(中略)博士課程が、テクニシャンを産出するものになってしまっているということも一つの要因でしょう」。

動物行動学は、動物(時には植物も対象にするが)の形態や行動・心理などを、それが「環境に適応しながら進化してきた」という見方に基づいて解明していく学問である。

生物学者は、生物を〝高等〟とか〝下等〟とか考えたりすることはない。もちろん、生物の中で人間が一番高等だなどとも考えないのである。  とにかく、「繁殖ができるようになるまで成長する子の数が多い生物種は数が増えていき、そうではない生物種は数が減っていく」という事実があるだけで

日本に生息するコブハサミムシでは、巣の中で孵化した子どもが、一斉に、それまで自分たちを保護してくれていた母虫を食べてしまうという。母虫は、抵抗することなく、子どもたちに体を食べさせるのだそうだ。

この例は「自分の遺伝子が後の世代に残るように行動する」という、動物行動学が主張する根本的な仮説や、日本の動物行動学の父である日高敏隆先生がよく言われていた〝それぞれの生物の生きる論理〟を説明するのに適しているからである。

が今一番関心をもっている研究は、「擬人化」という、人間の脳の特性である。最近の認知考古学の研究は、擬人化はけっして、子どもや未開の人たちの、幼稚な、あるいは素朴な思考特性ではなく、人間の本来の生活形態である狩猟採集への進化的適応の結果であるという可能性を示している。

認知心理学者は、ドバトの認知世界に関して、さまざまな事柄を明らかにしてきた。たとえば以下のような事柄である。  ①ドバトは、「木」とか「水」という概念をもっているらしく、木の幹の一部や、枝葉の一部であっても「木」の一部とみなす。  ②ドバトは、「動物」と「植物」という概念ももっているらしく、そのうえで、動物は「動く」、植物は「動かない」ということを生まれつき知っている。  ③ドバトは、鏡に映った自分の姿を、「自分」と認識することができる。

脳内での外界からの情報の処理のされ方は、大まかに、2種類の系統があると考えればよいと思っている。おそらく、そのほうが、生き延びるうえで有利だったのだろう。仮に、一方を〝緊急措置的情報処理〟、他方を〝事後詳細吟味的情報処理〟とよぶことにする。

公共事業などでよく問題にされる、〝費用〟対〝効果〟の概念と同じことだ。動物行動学が明らかにした行動の原理の中に、次のようなものがある。その行動を遂行する際に使われるエネルギーに比べ、その行動によって得られるエネルギーが大きい場合ほど、その行動は行なわれやすい。

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