【本】17102『世界天才紀行 ソクラテスからスティーブ・ジョブズまで』エリック ワイナー、関根 光宏

投稿者: | 2017-08-19

天才を生み出す土地の共通点を探るため、筆者が各地を旅する。

土地の特性を探るという名目にもかかわらず、筆者は天才個人の経歴に注目するキライが強い。
とはいえ、筆者も歴史には着目している。歴史の動乱のなか、社会が不安定になったことと、創造的な人間が生まれることの関連について述べている。
しかし、ここを司馬遼太郎なら、土地の歴史を振り返りながら、民族の特性、混乱期の下での文化の共通点を深く考察してくれるのではないかと妄想した。

文句を言いつつも、題材にしているのが天才という特徴的な集団なので、個々の経歴が十分に面白い。
彼らがワインを飲みながら議論したが、そのワインは薄められていたという事実は、アルコールに弱いアジア人の我々を勇気づける内容でもある。

本書を読んでも天才を生むことはできないが、天才を楽しむことはできるかもしれない。

創造的天才の定義として私が気に入っているのは、人工知能の専門家であるマーガレット・A・ボーデンの言葉である。ボーデンによれば、創造的天才とは「新しく、意外性があり、同時に、役に立つアイデアを発想できる人」である。

家族という文化もまた、創造性を伸ばしもすれば、押しつぶしもする。

創造性は思いやりと同じく家庭から生まれ育つ。

アテナイや現代のシリコンバレーのような場所は、賢くて野心のある人々を惹きつけるから創造的なのだ。

問題を解決するのに必要な能力というのは、その問題を解決できない事実を自覚する能力である。

経験に対する寛容性」を、創造性にすぐれた人の唯一にして最重要な特色と位置づけている。

あきらかな感情の表れとして死を悼む気持ちは、精神だけでなく創造性までも活性化してくれるのだ。 この原動力は、時代を通じて、なぜ両親を、とくに父親を若いころに亡くした天才が異常なほど多くいたのかを説明している。

この「仮に」というのが曲者だ。心理学者のロバート・スタンバーグは、データを検証し、「片親の死に起因する幼少期の心的外傷に苦しむ人のおよそ半数が、非行に走るか自殺性鬱病を発症していた」

創造的思考力のテストで拒絶感を味わわされたグループのほうが、そうでないグループよりも成績がよかったのだ。とりわけ、自分が「自立している」と答えた人にこの傾向があてはまった。キムの考察によれば、彼らにとって拒絶とは、「自分が他人とちがうと感じていたことを裏づけるもの」であり、その確信こそが創造力を花開かせる。

天才と凡才の境目は、何度成功するかではなく、何度やり直すかにある。

それを可能にしたのは、彼が「見慣れたものを未知のものとしてとらえた」からだ

ある面ではルネサンスも、太古の昔から存在する強大な力に駆りたてられていた。それは、罪悪感だ。

社会学者のハリエット・ズッカーマンが、九四人のノーベル賞受賞者を対象におこなった大がかりな研究によると、彼らが成功した最大の要因は、人生における師の存在にあったことがわかっている。

では、彼らは師から何を学んだのだろうか。 その答えは、「思考法」だと言えるだろう。解を求めるのではなく、問いをたてる方法だ。いわば創造力の応用である。

研究によると、天才になる可能性が最も高いのは一人っ子である

当時まだ二〇歳に達していなかったであろうミケランジェロは、サント・スピリト聖堂に、とりわけ修道院長のニコライオ・ビチェリーニに感謝の気持ちを伝えたかった。

修道院長は、場合によっては破門以上の懲罰を覚悟のうえで、夜間の死体解剖をミケランジェロに許したのだ。

まず、天才は「汚れた」ものだということ。みずから進んで手を汚さなければならない。本質を見きわめるには直接観察する以外に方法はなく、

内容によっては、教育は創造的天才を育てるのに必要だが、度を越すと、天才を生む手助けとなるどころか機会を減じてしまう。公的教育の負の影響は、驚くほど早い時期に現れる。心理学者はその時期を厳密に特定している。子供の創造的思考能力が停滞する、小学四年生の時期である。 

一三四八年から始まったといわれる黒死病の大流行からたった二世代後、フィレンツェでルネサンスが花開いた。この二つの事実は、ただの偶然では片づけられない。

疫病は黄金時代に欠かせない重要な要素をもたらした。それは、不安定性である。

当時のスコットランドの知の巨人、たとえば哲学者のデイヴィッド・ヒュームも、自分たちの才覚に戸惑いを見せている。「わが国が、君主や議会、独立した政府機関だけでなく、スコットランド貴族まで失った不幸な時代にあり……そんな状況で、われわれがヨーロッパじゅうで最も知的であるというのは、不思議としか言いようがない」

首輪は墓場泥棒を阻止するために使われた。ただし、盗みを働いたのは墓場荒らしでも泥棒でもない。ミケランジェロよろしく、人体解剖に励む医学部の学生たちだ。

一七八九年には、エディンバラ大学の学生の四〇パーセントが医学部に進んだという。

その多くは、以前なら聖職者をめざしたであろう、聡明で意欲に満ちた青年だった(女性は一八八九年まで大学への入学が許可されなかった)が、教会の人気が低迷していたために医学の道を選んだ。

彼らには、シリコンバレーのプログラマーに通ずる共通点がまちがいなくあった。確固たる楽観主義、技術がもたらす救済の力への揺るぎない信念、そして言うまでもなく、世界を変えたい、〝改良〟したいという欲求だ。

凡人は見るだけだが、天才は見てから考える。

未解決の問題に直面したとき、天才はとことんまでこだわり、解決するまで思考を止められない。このこだわりこそ、創造的天才の本来の姿を表している。

似た生い立ちや経歴をもつ人が集まると、異なる見解を考慮せずに、立場の強い人を満足させようとして、結果的に優勢な意見に同調してしまう。たとえまちがった意見であっても迎合してしまう。ジャニスはこの傾向を「集団思考(groupthink)」と名づけた。

グラスゴーはエディンバラを高慢でエリート主義的と見なしているし、エディンバラのほうはグラスゴーを騒々しくて野暮ったいと見なしている。

「上下水道が整備されていなかった当時、水は飲み物として信用されていませんでした。クラレットを飲めば長生きができると思われていたんです」 だから、実際的な人間であるスコットランド人は、しこたまクラレットを飲んだのか。

ギリシア人と同じく薄めたワインを飲んだ。

創造力にあふれた人は、不確かなものに対してきわめて寛容だという研究成果がある。

創造的な天才が特徴づけられるのであれば、専門分野にかぎった知識よりも、幅広い知識をもっていることが鍵となる。

ここでの災厄は、腺ペストではなくイギリスだ。また、おまえか。思い返せばスコットランドの場合も、イングランドが乗り込んできたのち、ほどなくして繁栄を迎えた。どうやらイギリスは、行く先々に厄介ごとと天才をもたらしたようだ。「

どちらの民族も酒を好み、国民的飲み物に自分たちにちなんだ名前(スコットランド人はスコッチ、ベンガル人はバングラ〔糖蜜からつくられる蒸留酒〕)を冠する世界でただ二つの民族でもある。

カルカッタの場合はラビンドラナート・タゴールだ。詩人で、随筆家、劇作家、社会活動家、ノーベル賞受賞者でもあり、ベンガル・ルネサンスの全盛期を体現する存在だった。

「コルカタの人は独特の人間の形態を生みだした。個人主義と群居性の統合だ。集団でいるのを楽しみながら、それぞれが好きなことをする」

ヨーゼフ二世はまちがいなくそれを禁止していたはずだ。言うなれば、オーストリアハンガリー帝国のマイケル・ブルームバーグ〔ニューヨーク市長を務めた政治家・実業家〕。お人好しで、ときに判断力に欠ける政治家だったが、民衆の生活の質を改善しようと奔走した。

神童とは虚構である。たしかに、卓越した演奏をする若い演奏家はいる。しかし、それはごくまれなことであり、若いときに画期的功績をあげることはめったにない。二五人の非凡なピアニストを対象にした研究では、全員が両親からあら

ゆる援助を受けていた。その一方で、彼らがほんとうに自分の実力を認識したのは、かなり後年になってからだった

レオナルド・ダ・ヴィンチの「師を超えない弟子は二流である」という言葉

才能だけでは十分な説明になっているとは言えません、とフリーデリーケが答える。「マーケティング戦略も必要です。ベートーヴェンも、マーケティングの手腕がなければ、天才として名をはせることはなかったかもしれません。モーツァルトは父親からそうした技術も仕込まれていました」フリーデリーケも認めるように、〝孤独な天才〟というのは幻想にすぎず、私たちの好きな物語でしかない。

民族的に多様なグループの学生は、均質的なグループの学生と比べて居心地の悪さをおぼえながらも、よりよいアイデアを生みだしたのである。

第一に、知識そのものよりも、その知識をどう記憶しておくか、そしてその知識をどれだけすみやかに取りだせるかのほうが重要だという点だ。第二に、子供のころ失敗したときに言われた、「失敗は忘れて前に進め」というのは、大きなまちがいだったという点だ。「失敗をおぼえておいて前に進め」というのが天才のやり方なのである。

フロイトが提唱した新しいアイデアは、ウィーンのような街で認められやすい可能性があった。なぜなら、ミハイ・チクセントミハイが言ったように、「創造性というのは、新たなアイデアがより少ない労力で受け入れられる場所に存在する可能性が高い」からだ。新たなアイデア、新たな考え方に慣れている場所は、それがやってきたときにすみやかに順応する。そして天才と、天才が認められることとは、切り離すことができない。

「フロイトを例にとってみましょうか。ユダヤ人として、彼は初めからよそ者でした。ですから、自分の考えがもとでよそ者になるのを、それほど恐れてはいなかったんです。失うものは何もなかったわけですから」

創造するためには、自分とは別のものに対して心を開く大らかさと、みずからの洞察を確固たるものにする私的な領域の両方が必要なのだ。

思い悩む天才というイメージとは裏腹に、創造性豊かな科学者は、ほかの科学者と比べて楽観的な傾向がある。悲観主義者よりも楽観主義者のほうが創造的だとする研究もある。その意味で、シリコンバレーほど楽観的な場所はない。「とんでもなく楽観的」とは、地元の人の意見である。この国のほかの地域なら、新しいアイデアに対してはうまくいかない理由ばかり投げつけられるだろうが、シリコンバレーでは激励の言葉で迎えられる。「やってみたらいいじゃないか」「何をためらっているんだい?」なんというちがいだろう。

「結びつきの弱い人からのほうが、新しいことを学べるという意味です」とグラノヴェッター

シリコンバレーがこのまま繁栄を続けたいのなら、これまでとは別のエネルギー源を見つける必要がある。つまり、たんに創造力にあふれる新製品を発表するのではなく、創造的であるための新たな方法を見つけなければならない。

アテナイ、杭州、フィレンツェ、エディンバラ。それらはすべて、長い時間をかけて形成された結果であり、幾多の苦難(黒死病やペルシア戦争など)を乗り越えてきた。シリコンバレーの再現をめざす都市や国は、摩擦のない街を創る必要があると考えているが、実際には、天才の地を形成する過程で、ある程度の摩擦や緊張は不可欠

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