【本】17056『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド

投稿者: | 2017-04-07

話題であったために手にとった。
失敗を科学する内容で、半分が航空業界、残りは医療の話だった。
この手の話は、5年前くらい、私が学生の頃にも流行っていた。
航空業界の反省、ミスを減らす試みが医療界へ応用されているというものだ。
学生時代にはなるほどと思ったが、医師になってからあまり意識することもなくなった。

しかし、思い返すと大学時代に聞いた話と、大して進展していないように思う。
防げるミスは数多いだろうが、単純な医療ミスによる事故が報道されているし、決して表に出ない(患者に被害がない程度の)ミスなら日常茶飯事だ。

業界が変わるというのは、時間がかかるのだろう。

安全重視にかかわる二大業界、医療業界と航空業界を比較してみよう。両者の組織文化や心理的背景には大きな違いがある。中でも根本的に異なるのが、失敗に対するアプローチだ。  

ここでいう「クローズド・ループ」とは、失敗や欠陥にかかわる情報が放置されたり曲解されたりして、進歩につながらない現象や状態を指す。逆に「オープン・ループ」では、失敗は適切に対処され、学習の機会や進化がもたらされる。

社会的圧力、有無を言わせぬ上下関係が、チームワークを崩壊させたと言える。

問題は当事者の熱意やモチベーションにはない。改善すべきは、人間の心理を考慮しないシステムの方なのだ。

何か失敗したときに、「この失敗を調査するために時間を費やす価値はあるだろうか?」と疑問を持つのは間違いだ。時間を費やさなかったせいで失うものは大きい。失敗を見過ごせば、学習も更新もできないのだから。

まず、失敗から学ぶためには、目の前に見えていないデータも含めたすべてのデータを考慮に入れなければいけない。次に、失敗から学ぶのはいつも簡単というわけではない。そんなときはこのケースのように、注意深く考える力と、物事の奥底にある真実を見抜いてやろうという意志が不可欠だ。これは爆撃機や軍の問題だけでなく、ビジネス、政治、その他さまざまな分野に当てはまる。

アドラーの理論の中心となったのは「優越コンプレックス」だ。彼は「あらゆる人間の行動は、自分を向上したいという欲求(優越性の追求、または理想の追求)から生まれる」と主張した。

多くの場合、人は自分の信念と相反する事実を突き付けられると、自分の過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまう。次から次へと都合のいい言い訳をして、自分を正当化してしまうのだ。ときには事実を完全に無視してしまうことすらある。

カギとなるのは「認知的不協和」だ。これはフェスティンガーが提唱した概念で、自分の信念と事実とが矛盾している状態、あるいはその矛盾によって生じる不快感やストレス状態を指す。

認知的不協和がカギとなる。もしあなたが大変な努力をしてまで(あるいは恥ずかしい思いをしてまで)参加した討論会が、嘘のようにつまらなかったらどうだろう? つまらなかったと認めることはわざわざがんばった自分がバカだったと認めることにもなる。その状態で自尊心を守るためには、すばらしい討論会だと思い込むしかない。だから内容も発言者も高く評価する。事実の見方を変えて、都合よく解釈してしまう。

認知的不協和が何より恐ろしいのは、自分が認知的不協和に陥っていることに滅多に気づけない点にある。

認知的不協和の最も逆説的な点がここにある。明晰な頭脳を誇る高名な学者ほど、失敗によって失うものが大きい。だから世界的に影響力のある人々(本来なら、社会に新たな学びを提供するべき人々)が、必死になって自己正当化に走ってしまう。

実験で最も驚くべき発見は、テレビ番組に多数出演し、本を出せばサイン会を開くような有名な専門家の予測が、一番外れていたことだ。テットロックは言う。「皮肉なことに有名なら有名なほど、その予測は不正確になる傾向があった」

進んで失敗する意志がない限り、このルールを見つけ出す可能性はまずない。必要なのは、自分の仮説に反する数列で検証することだ。しかしほとんどの人は間違った仮説から抜け出せない。

本書はここまでで、失敗から学ぶにはふたつの要素がカギとなることを見てきた。ひとつは、適切なシステム。もうひとつは、その適切なシステムの潤滑油となる、マインドセットだ。

実際ここ200年の間、大勢の偉大な思想家(2)が自由市場のシステムを支持しているのは、それが生物学的進化をなぞったものだからだ、とティム・ハーフォードも名著『アダプト思考―予測不能社会で成功に導くアプローチ』(3)で唱えている。

自由市場のシステムは、失敗が多くても機能するのではなく、失敗が多いからこそうまくいくのだ。

た。科学者ではなく実践的な知識を備えた職人たちが、生産性の壁を打破するために、失敗と学習を繰り返しながら開発に取り組んだのだ。

目立つ行動ばかりが取り沙汰されるのはよくあることで、心理学では「顕著性効果」と呼ばれる。

ヴァニアーとスレマーの関係は、ユニリーバの数学者と生物学者の関係に近い。「トップダウン対ボトムアップの戦い」とも言える(抽象的に考えれば、まず理論があって革新が起こると信じる人々と、革新が先でそこに理論が追いついたと主張するキーリーとの関係にも似ているだろう)。

RCTには全人的な観点が欠如している。たとえば、薬により特定の症状は抑えられても根本的な治療にはなっていなかったり、長期的な服用によって副作用が生じたりする可能性がある。

薬を投与した直後だけでなく、患者の生涯全般を測定する必要があるということだ。また特定の症状ばかりに目を奪われず、体全体に注目しなくてはならない。

「小さな改善の積み重ねですよ」彼の答えは明快だった。「大きなゴールを小さく分解して、一つひとつ改善して積み重ねていけば、大きく前進できるんです」

Googleの意思決定の要だ。2010年時点で、同社は年間1万2000という驚くべき数のRCTを実施している。

ミスの報告数は多かったが、実際に犯したミスで比べてみると、懲罰志向のチームより少なかったのだ(5)。

ことだ。哲学者カール・ポパーは言った。 「真の無知とは、知識の欠如ではない。学習の拒絶である」

引き際を見極めてほかのことに挑戦するのも、やり抜くのも、どちらも成長なのだ(6)。

学者ゲイリー・クラインが提唱した「事前検死(pre-mortem)」だ。これは「検死(post-mortem)」をもじった造語で、プロジェクトが終わったあとではなく、実施前に行う検証を指す。

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