【本】17019『やり抜く力』アンジェラ・ダックワース

投稿者: | 2017-01-30

話題になった本である。
やり抜く力が大事と筆者は言うが、なんでもかんでも最後までやりきることが重要だと述べているわけではない。
むしろ、無駄なことに労力を費やすのをやめて、自分の最終目標のために必要な、中目標・小目標に打ち込める人こそが多大な業績をあげることができる、というのが筆者の主張である。
「やり抜く力」と言うよりは、自ら決めた目標に対して努力を続ける力、と言ったほうがいいのかもしれない。

日本の受験勉強も批判は多いが、あれも決まった範囲の問題を繰り返し練習して解答までたどり着くことを効率化するという訓練であり、そう批判されるものではないだろう。

子育てにおいて親の役割は大きい。子供に色々な体験を積ませ、本人が興味を示さないものを除いて新しいものを追加するなど、子供が本当に興味を示せるものを親が探してあげるというのが重要なようだ。
仕事にも役立つが、子育てにも考えさせられる一冊だ。

失敗しても挫けずに努力を続けるのは──どう考えてもたやすいことではないが──きわめて重要らしかった。「調子のいいときは、やたらと意気込んでがんばる人もいますが、そういう人はちょっとつまずいただけで、とたんに挫けてしまうんです

楽しかったからだけではなかった。 「僕だってやれば何だってできるってことを、誰かに、いやみんなに証明したかったんだ。だからあのころは、何でも手当たりしだいに挑戦した」

「最高のパフォーマンスは、無数の小さなスキルや行動を積み重ねた結果として生み出される。それは本人が意識的に習得する数々のスキルや、試行錯誤するなかで見出した方法などが、周到な訓練によって叩き込まれ、習慣となり、やがて一体化したものなのだ。やっていることの一つひとつには、特別なことや超人的なところはなにもないが、それらを継続的に正しく積み重ねていくことで生じる相乗効果によって、卓越したレベルに到達できる」

「あまりに完璧なものを見たとき、我々は『どうしたらあんなふうになれるのか』とは考えない」。その代わりに「魔法によって目の前で奇跡が起こったかのごとく熱狂してしまう」。

「才能」とは、努力によってスキルが上達する速さのこと。いっぽう「達成」は、習得したスキルを活用することによって表れる成果のことだ。

ウディ・アレンは、若いアーティストたちへのアドバスを求められてこう言っている。 「私が見たところ、脚本や小説をひとつきっちりと書き上げた人は、着実に興行や出版にこぎつけるが、ほとんどの人は『書きたいんです!』なんて言ってくるわりには、すぐに挫折してしまって、結局、ひとつもまともに書き上げない」 さらに、アレンには痛快な名言もある。 「人生で成功する秘訣の80%は、めげずに顔を出すこと」

私たちは、新しいことを始めても長続きしないことが多い。しかし「やり抜く力」のある人にとっては、一日にどれだけ努力するかより、くる日もくる日も、目が覚めたとたんに「きょうもがんばろう」と気合いを入れ、トレッドミルに乗り続けることが重要なのだ。

「やり抜く力」が非常に強い人の場合、中位と下位の目標のほとんどは、何らかの形で最上位の目標と関連している。それとは逆に、各目標がバラバラで関連性が低い場合は、「やり抜く力」が弱いと言える。

「では、君に教えよう」 そう言ってバフェットは3つのステップを説明した。 1.仕事の目標を25個、紙に書き出す。 2.自分にとってなにが重要かをよく考え、もっとも重要な5つの目標にマルをつける(5個を超えてはならない)。 3.マルをつけなかった20個の目標を目に焼きつける。そしてそれらの目標には、今後は絶対に関わらないようにする。なぜなら、気が散るからだ。よけいなことに時間とエネルギーを取られてしまい、もっとも重要な目標に集中できなくなってしまう。

成功するには「やるべきこと」を絞り込むとともに、「やらないこと」を決める必要がある。なるほど、そのとおりだ。「やらないこと」をもっとしっかりと決めなければ。

コックスは4つの指標を「動機の持続性」と名付けた。そのうちの2つは、グリット・スケールの「情熱」の項目にほぼ当てはまる。 〈遠くの目標を視野に入れて努力している(その日暮らしとは正反対の態度)。晩年への備えを怠らない。明確な目標に向かって努力している〉 〈いったん取り組んだことは気まぐれにやめない。気分転換に目新しさを求めて新しいものに飛びつかない〉 残りの2つは、グリット・スケールの「粘り強さ」の項目にほぼ当てはまる。 〈意志力の強さ、粘り強さ。いったん目標を決めたら守り抜こうと心に誓っている〉 〈障害にぶつかっても、あきらめずに取り組む。粘り強さ、根気強さ、辛抱強さ〉

1.「やり抜く力」は、育つ時代の文化的な影響を受ける。 2.「やり抜く力」は、年齢とともに強くなる。

私たちはときに大小さまざまな挫折を経験して、打ちのめされる。打ちのめされたままでは「やり抜く力」も失われてしまうが、立ち上がれば、「やり抜く力」を発揮することができる。

1.ある一点に的を絞って、ストレッチ目標〔高めの目標〕を設定する。

2.しっかりと集中して、努力を惜しまずに、ストレッチ目標の達成を目指す。

3.改善すべき点がわかったあとは、うまくできるまで何度でも繰り返し練習する。

「無力感」をもたらすのは苦痛そのものではなく、「苦痛を回避できないと思うこと」だということ

アメリカの特別認可学校「KIPP」では、「生まれながらの才能」よりも「努力」と「学習」をほめることを、教員育成の明確な方針として定めている。

「成長思考」でいると、逆境を楽観的に受けとめられるようになり、そのおかげで粘り強くなれる。新しい試練が訪れても臆せずに立ち向かうため、さらなる強さが培われる。

「つらいときもあきらめずに続けられるかどうかは、『私ならできる』と思えるかどうかにかかっています。その信念はどこから来るかといえば、自尊心から。自尊心があるのは、それまでの人生で、周りの人たちが自信を持たせてくれたおかげです」

子どもには自由を与えるのと同じくらい、きちんと限度を示すことも必要だ

子どもの興味を第一に考えるという意味においては「子ども中心」だったと言えるが、「なにをすべきか」「どれくらい努力すべきか」「いつならやめてもよいか」など重要なことは、必ずしも子どもに判断を任せなかった。

というのも、「子どもに厳しい要求をしながらも、支援を惜しまない育て方」が有効であることを示す科学的根拠はすでに十分にある

親自身が「努力家で、なにかに挑戦するときは全力を尽くし、楽しみよりもやるべきことを優先させ、遠い目標に向かって努力する」姿を子どもに見せていた。

ひとりの親として、また社会科学者としての立場から言えば、子どもがある程度大きくなったら、学校の勉強以外に、楽しんで取り組めるような習いごとや活動を見つけて、かよわせることをお勧めしたい。もし魔法の杖があったら、私は世界じゅうのすべての子どもたちに、自分の好きな課外活動をひとつはやらせてあげたいと思う。そして高校生になったら、最低でもひとつの活動に1年以上は取り組ませたい。

1.家族全員(パパもママも)、ひとつはハードなことに挑戦しなければならない。 「ハードなこと」というのは、日常的に「意図的な練習」を要することだ。

2.やめてもよい。 ただしやめるには条件があり、シーズンが終わるまで、たとえば授業料をすでに支払った期間が終わるなど、区切りのよい時期がくるまではやめてはならない。始めたことは最後までやり通すべきであり、最低でもある程度の期間は、一生懸命に取り組む必要がある。

3.「ハードなこと」は自分で選ぶ。 選ぶのを他人任せにしない。自分が少しも興味を持っていないのに、ハードなことに取り組んでも意味がないからだ。わが家では娘たちにバレエを習わせたとき、世の中にはほかにもさまざまな習いごとがあることを説明し、よく話し合ったうえで決めた。

いつも最初の意気込みはすごいのだが、そのうち「やっぱりこれじゃない」と思うことの繰り返しで、バレエ、体操、陸上、手芸、ピアノを習ったあと、ついにヴィオラに落ち着いた。ヴィオラを始めて3年になるが、興味はなくなるどころか、ますます大きくなるいっぽうだ。昨年は、学校のオーケストラと市のオーケストラに入部した。先日、「そろそろハードなことをほかの目標に変えたいんじゃない?」と訊いたら、ルーシーはあきれ顔で私を見つめ返した。

4.新しいことでも、いまやっていること(ピアノやヴィオラ)でもかまわないが、最低でもひとつのことを2年間は続けなければならない。

情熱や粘り強さは、冷静な損得勘定からは生まれない場合もある。そういうときに底力を発揮するのは、「自分はこういう人間だ」という矜持にほかならない。

第一に、「やり抜く力」は伸ばせるということ。

それにはふたつの方法がある。 ひとつは、「やり抜く力」を自分自身で「内側から伸ばす」方法。具体的には、「興味を掘り下げる」「自分のスキルを上回る目標を設定してはそれをクリアする練習を習慣化する」「自分の取り組んでいることが、自分よりも大きな目的とつながっていることを意識する」「絶望的な状況でも希望を持つことを学ぶ」などの方法がある。 もうひとつは、「外側から伸ばす」方法だ。親、コーチ、教師、上司、メンター、友人など、周りの人びとが、個人の「やり抜く力」を伸ばすために重要な役目を果たす。

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