「嫌われる勇気」の続編です。
自立を信条とするアドラー哲学の価値観には共有するところが多い。
自分の価値を自らで決めていきたい。
叱責を含む「暴力」は、人間としての未熟さを露呈するコミュニケーションである。このことは、子どもたちも十分に理解しています。叱責を受けたとき、暴力的行為への恐怖とは別に、「この人は未熟な人間なのだ」という洞察が、無意識のうちに働きます。 これは、大人たちが思っている以上に大きな問題です。あなたは未熟な人間を、「尊敬」することができますか? あるいは暴力的に威嚇してくる相手から、「尊敬」されていることを実感できますか? 怒りや暴力を伴うコミュニケーションには、尊敬が存在しない。それどころか軽蔑を招く。叱責が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。ここからアドラーは、「怒りとは、人と人を引き離す感情である」と語っています。
「先生のおかげで卒業できました」とか「先生のおかげで合格できました」と言わせる教育者は、ほんとうの意味での教育には失敗しています。生徒たちには、自らの力でそれを成し遂げたと感じてもらわなければなりません。
「ほめることは〝能力のある人が、能力のない人に下す評価〟であり、その目的は〝操作〟である」。
アドラー心理学では、人間の抱えるもっとも根源的な欲求は、「所属感」だと考えます。
「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。
彼らのような生き方を選ぶのは、子どもだけではありません。多くの大人たちもまた、自分の弱さや不幸、傷、不遇なる環境、そしてトラウマを「武器」として、他者をコントロールしようと目論みます。心配させ、言動を束縛し、支配しようとするのです。
自立とは、「自己中心性からの脱却」なのです。
第二子は、革命を志向します。第一子のように既存の権力におさまろうとするのではなく、既存の権力を転覆することに価値を置く。