【本】16118『民族という虚構』小坂井敏晶

投稿者: | 2016-11-06

民族というアイデンティティの源流が何にあるか、について詳細に記載してある。

詳細は本書に譲るが、人種という概念に客観的根拠はない。
日本が単一民族国家であるという幻想は、戦後生まれた。同様に、”「さあイタリアはできあがった。これからはイタリア人を生み出さなければならない」という有名な演説が統一完成後最初の国会で”あったそうだ。つまり、”内部での政治的統一が可能であったために、一つの民族という表象が後ほどできあがった”ということだ。

では、どうしてこうも人種という考え方がはびこるのか。この理由に、筆者は3つの理由を挙げている。
“第一に、人間は外界を把握するに際して、必ず何らかの範疇化を通して情報を単純化”しながら生きるからである。
“第二に、自分の慣れた考えに合致する情報は取り込んでも、それに反する情報は無視する傾向が人間の心理にはある。”
“第三に、誤った信念はたいてい社会の他の構成員によっても共有される。”

“対立が範疇化自体によって生じるならば、逆に、範疇化による区別が曖昧になったり消滅したりすれば、対立は自動的に和らげられるはずだ。人々が集団の構成員としてではなく単なる個人として認識され、「我々」と「彼ら」という区別が弱まる場合には、差別傾向が緩和される。あるいは、異なった集団の構成員が同じ目的に向かって協力しあう時、それらの集団全体を包括する同一性が事実上できあがるために、その内部における区別が弱まり、結果として差別や対立が弱化する。”
これもそのとおりだ。人種というアイデンティティではなく、個人で生きる場合には差別は起きにくいだろうし、映画などでよくみる、エイリアン来襲に対抗して全人類が共闘する、というストーリーもこのことを体現している。

かといって、「自立した個人」というのもまた幻想だ。
“個人主義的な者ほど、自らの心の内部にその原因があったのだろうと内省し、自らの行動により強い責任を感じる傾向が強い。そのため、行動と意識との間の矛盾を緩和しようとして自らの意見を無意識に変更しやすい。合理的な自己像を保とうとする個人主義者こそ、合理化=正当化の罠に搦め捕られやすく、したがって影響されやすい”
周囲の環境に適応するために、無意識のうちに自らの意識が変わってしまう。まさに”人間は合理的動物ではなく、合理化する動物”である。

王国から国家の成立起源として税制度の変更が原因と考察しているのは興味深い。
“臨時の性格しか持たなかった税徴収が次第にその意味を変質させ、年の一定の時期に課せられる通常税の性格を持つようになる。必要があるつどに組織される臨時的な政治・行政機関から、このような経緯をへて王国の概念は少しずつ変質し、連続して維持される組織としての国家概念が成立した”

本書を読んでも、民族問題の正解が書いてあるわけではない。しかし、そのヒントは書いてある。
“自らの文化環境から無理矢理引き離されると感ずるとき、ちょうどイソップ物語の「北風と太陽」に出てくる旅人の行動のように、人は伝統にしがみつく。共同体の文化に守られ、同一性感覚が保たれるおかげで、かえって変化が可能になる。また逆に変化が可能になれば、外部環境への適応が容易になり、ひるがえっては同一性を保持できるという好ましい循環が生まれる。”
例えばアメリカに中国人が移民として入国したとき、まず中国人街で生活する。その地で同一性感覚を保ちながらアメリカに適応することで、最終的にはアメリカへの適応が容易になるというものだ。

フランスの普遍主義について本書は、
“フランス革命が生んだ普遍主義は、政治共同体を意識的かつ合理的に構築する壮大な試みであり、民族の血縁神話と訣別せんとする、その積極的姿勢は高く評価する”としつつも”フランス的共和国理念の背景にある、近代個人主義的な見方は人間性に対する根本的な誤解”と指摘する。

フランスの抱えるアルジェリア移民の問題、ブルカ禁止問題などを鑑みると、納得できる。ある程度の差異を認め、互いに同じ共同体に属しながら、「彼ら」にも共同体を認めるくらいの差異は認めなければ、本質的な解決は難しそうだ。

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