【本】17147『佐藤優の集中講義 民族問題』佐藤 優

投稿者: | 2017-12-28

予想外に面白かった。
アンダーソンの『想像の共同体』は読んでいて、「民族なんて(支配者層が作った)フィクションだ」と思っていたが、佐藤氏は、「民族はエリートが思うようには生まれません」(「国家という人工物は一部の支配層がでっちあげることが可能」)と指摘する。
沖縄のこととか、スコットランドとか、色々おもしろい。

イラクやシリアで「シーア派のアラブ人」という新しい民族アイデンティティが育ちつつある。

が『想像の共同体』の著者、ベネディクト・アンダーソンです。彼は〈国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である〉という有名な定義を提示して、国民、民族とは政治によるフィクションだ

『民族とナショナリズム』のアーネスト・ゲルナーも、道具主義に立ってはいますが、私はアンダーソンよりもゲルナーのほうが、より本質的で深い議論を展開していると考えています。ゲルナーは、ナショナリズムを近代特有の現象だと位置づけるのですが、そこで産業社会の成立とナショナリズムを結びつけて論じている。

忘れっぽくて、すぐに正反対のことを書くことができる日本の新聞や週刊誌は、民主主義を担保するうえでは重要

イギリスにとって、スコットランドに独立されることは本当に大変な事態です。そこで大きな鍵となるのは、スコットランド最大の都市グラスゴーの郊外にある原子力潜水艦基地です。これはイギリスで唯一の原潜基地

理論としてのレベルの高さと、その理論の影響力の大きさは別だということです。 思想にはレベルの低いものと、レベルの高いものがある。そして、思想には影響力のあるものと、影響力のないものがある。この両者のあいだには、実は相関関係はないんです。

ソ連の中心にあって、支配していたのは、ソ連共産党中央委員会。つまり、民族ではなくて、マルクス・レーニン主義というイデオロギーによって支配し、国民を抑圧していた。

宗教のポイントは何か? それは、理屈でわからないこと、実証できないことにも、何かの真理がある、という感覚です。

言語の違いという原初主義的な基準を持ち出して、実際には、統治の都合で境界線を引いて、人工的に「民族」を作り出すという道具主義そのものの手法を駆使する

ソビエトの実験が失敗したことは、実は人類にとっては非常に不幸なことでもあるといえるんです。つまり、民族を超える概念は当面、存在しない。だから民族問題も解決しない、ということになる。

アンダーソンの『想像の共同体』を読んできて、やはり物足りないのは、民族やナショナリズムを支える「目に見えない世界」が根本的に欠落していること

シュライエルマハーによれば、一般に学者が国家に取り込まれれば取り込まれるほど、学問共同体は国家の御用機関に堕し、学問共同体は純粋に学問的な思索を追究すればするほど、結果的に国家の質も高まる。

みんなが感じ取ったものを全人類が共有できれば、それが宇宙であり、神だとする。その図式を、特定の言語限定、もしくは地域限定の「神」=共通意識をもつ人たちにあてはめると、それは「民族」になると考えられます。その意味で、ナショナリズムは宗教にきわめて近似しているといえるのです。

ナショナリズムの背景には、宗教的な発想、「目に見えない世界」があることは頭に入れておく必要がある

近代国家においては、裏口入学とか、教育上の不正に対して、感情的な反発が非常に強い。

それはなぜかというと、ナショナリズムの原理に抵触するからです。ひとつにはゲルナーが説いているように、教育制度が社会の均質化を保証しているから。そして、もうひとつは、国家以外の下位集団の中で、学校を核として、ナショナリズムよりも強力な紐帯をつくり出されては困るからです。国家よりも強い絆で結ばれた集団は、学閥、企業であろうが、過激派、ヤクザ組織であろうが、みんな反国家的な存在なんですね。

遠距離ナショナリズムといいます。つまり故郷を離脱した人々が、それゆえにもとの故郷を過剰に理想化し、アイデンティティとしていく

ロシアの側は、東ウクライナにいるのは同じロシア人だという論理で支援を始めるのですが、いきなりロシアの正規軍を送り込んだわけではありません。 たとえば、ロシア軍が演習で、ウクライナの国境地帯に行きますね。すると、隊長がみんなを呼んで、「明日から俺は休暇を取る。それに合わせて、諸君にも休暇を取ってもらいたいと思うが、異議がある者は一歩、前に出ろ」と。誰も前に出ない。そこで、「休暇の期間中は、おまえらはロシア軍とは無関係だ。さて、ここで相談だがな。俺は明日からドネツク(東ウクライナの都市)にボランティアで義勇兵に行く。みんなも同行したかったら、自由意思で参加するか? 行きたくない者は一歩、前に出ろ」と。こういう具合に、たくさんのロシア人たちが「自発的」にウクライナに行って戦闘に従事したわけです。

アルチューノフは、民族衝突が起きると、あるピークに行くまでは、人為的に抑えられないんだという、非常に突き放した見方を示したわけです。そのときはなんてひどいことを言うんだと思ったんだけども、あとからみると、彼の言っていたことは本当だった。だから私は民族紛争については、軟着陸シナリオは不可能に近いと考えているん

チェコでは他文化、他民族を認める教育を徹底させていたこと

チェコの姿勢を象徴するのは、建国時のトマーシュ・ガリッグ・マサリク大統領の、もし他国がおかしいと見えるときには、自国のナショナリズムに病理が発生している、という発想です。そしてこの言葉が示すとおり、チェコスロバキアではすべての民族が平等で、チェコ人やスロバキア人の権利を認めないようなズデーテン地方のドイツ人たちでさえも、その人たちの行動が言論や出版に限っている範囲においては、すべて認めるという姿勢を貫いた。その対象にはナチス党も含まれていました。

チェコは、自分たちは道義性において、つねに国際的な基準にのっとって行動する、それによって国際社会の中で尊敬され、自民族の生き残りにもつながるんだと考えているんですね。自国ファーストのナショナリズムを避けるという形のナショナリズムという、逆説を生きている国

最も現場で通用するのは、このスミスの理論、なかでも「エトニー」という概念だと思います。 

民族」という概念は、どんなに過去に戻っても一八世紀の半ばよりも前に遡ることはできません。具体的に言うと、一七八九年のフランス革命以降に流行となった現象なのです。

エトニとは、共通の祖先・歴史・文化をもち、ある特定の領域との結びつきをもち、内部での連帯感をもつ、名前をもった人間集団である

そもそも沖縄にとっては、明治維新なんてまったく重要ではありません。沖縄で重要なのは、一八五四年の琉米修好条約です。この

沖縄が独立するとしたら、それは民衆が望むときではないでしょ

つまり地元のエリート層が自分のステイタスを上げようとするときに起きる。

民族はエリートが思うようには生まれませんが、国家という人工物は一部の支配層がでっちあげることが可能です。これは私がソ連の崩壊や東欧諸国の独立を見てきた、独立運動に関する率直な認識です。

だから沖縄に共感する、同情するという人にお勧めするのは、極力、触らないほうがいいということ。当事者性のない人はよそのナショナリズムに関与しないというのは、守るべき一線ではないか。私は、これは非常に重要なこと

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