【本】17137『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~』山口 周

投稿者: | 2017-12-19

変化が早すぎてルールが追いつかない、だから自己規律が大事だ、という話。
最近流行っている仮想通貨を利用したICOなどはまさにそんな感じだ。
自分のなかに善悪の基準を持つべきというのは同意する。

筆者はライブドア当時のホリエモンを批判してるが、彼だって彼なりの善悪基準を貫いていた。
そういう意味では美意識はあったのではないかと思う。
だからこそ、多くの人が彼を応援していたのだろう。

先進的なグローバル企業において、MBAで学ぶような分析的でアクチュアルなスキルよりも、美術系大学院で学ぶような統合的でコンセプチュアルなスキルの重要性が高まっていること

た。「VUCA」とは「Volatility=不安定」「Uncertainty=不確実」「Complexity=複雑」「Ambiguity=曖昧」という、今日の世界の状況を表す四つの単語の頭文字を組み合わせたものです。

そこでは全体を直覚的に捉える感性と、「真・善・美」が感じられる打ち手を内省的に創出する構想力や創造力が、求められる

システムの変化に対してルールが事後的に制定されるような社会において、明文化された法律だけを拠り所にして判断を行うという考え方、いわゆる実定法主義は、結果として大きく倫理を踏み外すことになる恐れがあり、非常に危険

システムの変化に法律の整備が追いつかないという現在のような状況においては、明文化された法律だけを拠り所にせず、自分なりの「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」に照らして判断する態度が必要になります。

コンサルティング会社が提供している付加価値を一言で言えば、「経営にサイエンスを持ち込む」ということになります。

彼らが今後向き合うことになる問題、すなわち数値化が必ずしも容易ではなく、論理だけではシロクロがはっきりつかないような問題について、適時・適切に意思決定をするための究極的な判断力を鍛えるためだということなのです。

論理や理性で考えてもシロクロのつかない問題については、むしろ「直感」を頼りにした方がいい、

物事が複雑に絡み合い、しかも予測できないという状況の中で、大きな意思決定を下さなければならない場面では、論理と理性に頼って意思決定をしようとすれば、どうしても「いまは決められない」という袋小路に入り込むことになります。このような問題の処理については、どこかで論理と理性による検討を振り切り、直感と感性、つまり意思決定者の「真・善・美」の感覚に基づく意思決定が必要になります。

推論における二つのアプローチ、つまり「帰納」と「演繹」で考えてみれば、個別の現象から抽象概念へと昇華させる「帰納」は「アート」に、抽象概念を積み重ねて個別の状況へと適用する「演繹」は「サイエンス」が担うことになり、両者を繋ぎながら、現実的な検証をするのが「クラフト」

トップに「アート」を据え、左右の両翼を「サイエンス」と「クラフト」で固めて、パワーバランスを均衡させる

企業の経営をPDCAサイクルと言いますが、言い換えればPlanをアート型人材が描き、Doをクラフト型人材が行い、Checkをサイエンス型人材が行うというのが、一つのモデルになる

一つは、かつてのアップルに代表されるような「経営トップ=アートの担い手」というガバナンスの形態

もう一つは、大きな権力を持った経営トップが、直接に権限移譲する形でアートの担い手を指名するというガバナンスの構図

利休のすごいところは、「侘び」という極めて抽象度の高い美的感覚を、一般には芸術メディアとは考えられていなかった茶室や茶碗などの具体的な道具に落とし込んでいったこと

組織の意思決定の品質というのはリーダーの力量だけによって決まるわけではなく、一種のシステムとして機能します。有効な人材を有効なサブシステムとして配置できれば、そのシステムは高品質の意思決定を行うわけですが、一方でそれは、リーダーの力量が変わらなくても、システムとしてのバランスが崩れれば、意思決定の品質もまた毀損してしまうのだということを示してくれているようにも思います。

経営陣の最も重要な仕事は、経営というゲームの戦略を考える、あるいはゲームのルールを変えるということ

かつてのエンロンも同じなのですが、大規模な「イカサマ」に手を染めて破滅する企業の多くは、その直前まで「科学的経営管理」によって世間から称賛されているケースが少なくない

チェスの実力の差は、緻密に手を読んでいくという思考の粘りにあるのではなく、直感的にスジの良い手を思い浮かべられるかどうか、という点にこそ現れるというのがグルートの結論

消費者が求めるベネフィット=便益も変化していくということです。この便益は、市場の導入期から成熟期へと至る過程で、機能的便益、情緒的便益、自己実現的便益と変化していくことが、一般的に知られています。

現在起こっているのは「正解のコモディティ化」という問題です。

問題になるのは「イノベーションのその先」に何を追求するか、ということ

アップルという会社の持つ本質的な強みは、ブランドに付随するストーリーと世界観にある

ともに「開始の判断=経済性、廃止の判断=外部からの圧力」という構造になっているという点です。つまり、美意識に代表されるような内部的な規範が、全く機能していない

少なくともグレーゾーンに関して言えば、過去に遡及して有罪とされた例は枚挙に暇がない。

グーグルは社是

「邪悪にならない(=Don’tbeEvil)」という一文を掲げています

どうやって「狭い世間の掟」を相対化し、その掟がおかしいと見抜く判断能力を身につけるか? 答えは二つあるように思います。 一つは、結局は労働力の流動性を上げろ、という結論になるのではないかと思います。自分が所属している「狭い世間の掟」を見抜けるだけの異文化体験を持つ、

もう一つが、本書のテーマでもある「美意識」を持つ、ということになります。「

本当の意味での「教養」と言ってもいいと思いますが、要するに目の前でまかり通っているルールや評価基準を「相対化できる知性」を持つ、

身体が発するソマティック・マーカーを正確に感じ取る技術は、今日ものすごい勢いで方法論としてまとめられつつあり、様々なメディアやワークショップイベントで紹介されています。

変化の激しい状況でも継続的に成果を出し続けるリーダーが共通して示すパーソナリティとして、この「セルフアウェアネス=自己認識」の能力が非常に高い

セルフアウェアネスとはつまり、自分の状況認識、自分の強みや弱み、自分の価値観や志向性など、自分の内側にあるものに気づく力のこと

前章で事例をとりあげたDeNAの創業メンバーのほとんどが、戦略コンサルティング会社の出身者であったことを思い返せば、これらの業界に集まる人たちに共通する「思考の様式」がおわかりいただけると思います。その思考様式とはつまり「社会というシステムの是非を問わず、そのシステムの中で高い得点を取ることだけにしか興味がない」という考え方

科学でなければ、何が答えを準備してくれるかを明言することは難しいですが、その答えのひとつとしてあるのは「倫理」でしょう。人間が何をすべきか、何をなすべきでないかの線引きは、科学では用意できません。村上陽一郎(科学哲学者)「WIRED2017Spring」

「誠実性」のコンピテンシーを高い水準で発揮している人は、外部から与えられたルールや規則ではなく、自分の中にある基準に照らして、難しい判断をしています。

哲学者のハンナ・アーレントの主張を

曰く「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」と。そしてアーレントは、「陳腐」という言葉を用いて、この「システムを無批判に受け入れるという悪」は、我々の誰もが犯すことになってもおかしくないのだ、

最適化していることで、様々な便益を与えてくれるシステムを、その便益に拐かされずに、批判的に相対化する。これがまさに、21世紀を生きるエリートに求められている知的態度なのだ、ということです。

内部的な「善」の規範に則って意思決定をするしかありません。つまり「法律という外部規範」から「道徳や倫理という内部規範」への転換が必要だ

マツダが狙っているのは「顧客に好まれるデザイン」ではなく、「顧客を魅了するデザイン」だと言ってもいいでしょう。こう言えば柔らかく響くかもしれませんが、要するに「上から目線」だということです。ここには、MBAで習うような従来型のマーケティングにおいて重視される、顧客のニーズや好みを探り、それにおもねっていくという、卑屈な思考は放棄されています。

重要になってくるのが「観察眼」

現代を生きるビジネスパーソンにとって、「哲学から得られる学び」には、大きく3種類あります。 それらは、1.コンテンツからの学び2.プロセスからの学び3.モードからの学び

コンテンツというのは、その哲学者が主張した内容そのものを意味します。次にプロセスというのは、そのコンテンツを生み出すに至った気づきと思考の過程ということです。そして最後のモードとは、その哲学者自身の世界や社会への向き合い方や姿勢ということです。

そして、ここが非常に重要な点なのですが、現代社会を生きるエリートが、哲学を学ぶことの意味合いのほとんどが、実は過去の哲学者たちの「1.コンテンツ」ではなく、むしろ「2.プロセス」や「3.モード」にある

エリートというのは、自分が所属しているシステムに最適化することで多くの便益を受け取っているわけですから、システムを改変することのインセンティブがない

システムの内部にいて、これに最適化しながらも、システムそのものへの懐疑は失わない。そして、システムの有り様に対して発言力や影響力を発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、理想的な社会の実現に向けて、システムの改変を試みる。 これが現在のエリートに求められている戦略であり、この戦略を実行するためには、「システムを懐疑的に批判するスキル」としての哲学が欠かせない、

などなど、「人のこころを動かす」表現にはいつも優れたメタファーが含まれています。

リーダーの仕事が人々を動機づけ、一つの方向に向けて束ねることであるとするならば、リーダーがやれる仕事というのは徹頭徹尾「コミュニケーション」でしかない、

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