【本】17114『父という余分なもの:サルに探る文明の起源』山極寿一

投稿者: | 2017-09-16

父親という存在は、生き物のにとっては必要がない。
オスは確かに有性生殖に必要だ。しかし、出産・子育ては理論上は母親だけで完結する。
事実、多くの哺乳類ではオスは子育てに参加しない。

しかし、ゴリラは明確に父親が存在する。父親を頂点とするハーレムで生活し、離乳した子どもを育てるのはむしろ父親の役割である。さらには、乳飲み子を持たずかつ妊孕能がある若いメスは、しばしば別のハーレムへの移動すら行う。
このような父親という社会的な存在が確立するためには、共同体間での約束事のようなものが必要で、それは社会という文化の出発点がある。
ゴリラ社会を研究することで、父親という「社会を形作る文化的構築物」の起源を明らかにしようとしたのが筆者だ。

ヒトの赤ん坊はよく泣く。これは、共同体での子育ての証らしい。動物では赤ん坊はほぼ母親と一緒にいるから泣く必要がない。
しかし、ヒトの赤ん坊は他人に抱いてもらったり、一人で置いたりすることもある。その結果、不具合を知らせる自己主張として啼泣を発達させる必要があった。
しかしそれは反面、天敵の注意を引く行為でもあるため危険である。ここで父親が必要となる。共同保育の担い手として、他のオスと共同で共同体の防衛力を高めてきたのが父親だ。

このような共同保育の下地があることで、頭の発達した、発育の遅い子どもの育児が可能になったのだろう。

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ヒトの解説、本書のまとめについては、あとがきにほとんど書いてある。さっと読むならあとがきだけで十分。
ゴリラ、動物好きの人には本文も面白い。

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