【本】17106『不平等を考える ──政治理論入門』齋藤純一

投稿者: | 2017-08-24

不平等、格差などのテーマについてハマっているときに読んだ本。
本書での平等というのは、主に機会の平等のことを言う。

誰かがSNSで言っていたが、機会の平等を認めることは、反面残酷な現実として、生まれ持った才能の差を認めるということにはなる。
まあ、政治思想の問題だが、おそらくこれが経済発展にとって最も合理的だ、というのがその答えだろう。
貴族階層が資産を占有し、逆転が起きないような社会は、発展の機会も乏しい。
社会として、才能の取りこぼしを防いで、世に役立てる仕組みが、機会の平等を優先する思想なのだろう。

なかなか読むのが難しいが、ロールズに始まり様々な哲学の話が書いてある。
また興味が湧いたら読み返すだろう。

公正な機会の平等とは、どのような階層(所得階級)に属するか──どのような家庭に生まれ、育ったか──に関わりなく、同じレベルの才能と意欲をもつのであれば、誰もが同じ機会を享受しうるということ

思想史上、「公共善」ないしは「公共の福祉」と言い表わされてきた。それを英訳した言葉”commonwealth”が一時期「国家」とほぼ同義であったことが示すように、「公共の福祉」(saluspublica)を実現することこそあらゆる政治社会にとっての「最高の法」(supremalex)であるとみなされてきた。

政治社会の制度が実現すべきは、幸福の実現ではなく平等な自由の保障である。

公共的価値とは、自らの私的利益には反するとしても、すべての人々が市民として判断するときに受容しうる価値である。

ロールズによる「合理性」(rationality)と「道理性(理にかなっていること)」(reasonableness)の区別

問題は、内部最適化のためにひたすら合理的に行動しようとすると、その行動が外部にとって受容可能なものであるかどうかを省みる道理性の視点が薄れること

第二に、国民のアイデンティティが強調されればされるほど、それにはなじまない者に同化の圧力が加えられたり、あるいは彼/彼女らが周辺化の対象になるという、かつての国民形成の際に生じたのと同じ問題が反復されることになる。国民としての一体性を強調する教育は、それに対して違和を表明する者を否定的に扱わざるをえ

第三に、強い国民的凝集性を保持していくための客観的な条件は、政治や経済そして文化的な相互浸透が深まったことによって、すでに失われている。

市民を平等な者として扱うためには、財をどのように分配したかだけではなく、それを通じて、市民が他者との社会関係においてどのような立場を占めることができるかに注目する必要がある。

しかし、選択と偶然を厳密に分けようとする場合には、大きく見て次の二つの問題が生じる。一つは、自分自身の選択によって不利を招いた場合、その選択に対しては自己責任が問われるため、補償の対象から外れることになる、

もう一つの問題は、この考え方は、スティグマ化をともなう優劣の関係を市民の間に生じさせるということにある。

現世代が、将来世代が被りうる不利益を顧みることなく自分たちの利益のみを追求すること(現世代が自らを優先する「時間選好」)は、世代間の正義に反している。

熟議デモクラシー論の課題の一つは、市民の熟議と専門家の熟議との望ましい相補的な関係をどう形成していくかで

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