【本】17088『愛と怒りの行動経済学』エヤル ヴィンター、青木 創

投稿者: | 2017-07-04

これはオススメ。
ゲーム理論についての基本的な本を読んだ後だと、理解が深まるだろう。

しっぺ返し戦略が、自分の戦略として合理的なのはよく知られている。
つまり、裏切られたら自分は敵対する。しかし、相手が自分側に味方したときにはまた味方になる。
これを繰り返すことで、裏切りを防ぎつつ味方を増やすことができる。

他にも、感情が意外と合理的であることが示されている。
なかなか興味深い内容だった。

われわれは権威ある人物と接していると、その人物に肯定的な感情を持ちやすい。

他人にしてもらいたいことをせよ」といういわゆる倫理の黄金律を作り、それは互恵の倫理とも呼ばれている。  この黄金律は、他人の感情を大切にするよりどころとして、宗教書に繰り返し書かれているし、学校でもすべての子供に繰り返し教えられている──自分自身の望みに反してでも他人の感情は大切にしなければならない、と。しかし、こうした実験が示しているように、それは自分自身の利益を追求するよりどころとしても同じくらい重要なのである。

抑止力だけでは充分ではない。脅しに基づく抑止力に加えて、双方にとって好ましい動機を提供するシステムを築かなければならない。

しっぺ返し戦略が協力的な均衡を導けることは明らかになっている。

合理的な反応と感情的な反応の決定的なちがいは、後者のほうが状況に左右されにくいことである。感情的な人間が侮辱に対していつも同じ反応をすると言っているのではない。合理的な人間の反応のほうが、そのときの状況に左右されやすいということだ(このことは、精神が合理的であるためには自制を要するという事実とも一致する)。

適度な報復行動は、協力を生み出すうえでプラスに働く。躊躇や寛大すぎる感情的行動は、協力を導かない。むしろそれは利己主義を導く。何をしても許される世界では、だれもが他人を傷つけてでも利己的に行動するインセンティブを持つからだ。

最後通牒ゲームで回答者が用いるおおまかな原則は、「お人好しに見られないようにする」ことだと要約できる。

人々が他人に寄せる信頼と、その人々が住む国のGDPとのあいだに、強い相関関係があったことだった(2)。他人を信頼する度合いが高い国は、それだけGDPが高かったのである。

社会や国家はふたつの均衡のどちらかになりうる。「よい」均衡では、人々は互いを信頼し、他人に対して協力的で確かな行動をとる(それがさらに信頼を支える)。「悪い」均衡では、人々は互いを信頼せず、信頼の欠如が当然視され、信頼に足る行動や確かな行動をとる必要がまったくなくなる。

する(悪い均衡は変化によって覆されず、変化を「吸収」してしまう)。よい均衡から悪い均衡への移行は、いくらか想像しやすい。食料や水の不足、疾病の大流行、政府の瓦解などにより、その国の社会秩序は一気に崩壊する恐れがある。しかし、悪い均衡からよい均衡へ移行するのはかなり困難であるように思える。

人と人とのコミュニケーションが失敗するのは、多くの場合、こうした自己成就不信が原因になっていると思われる。従業員の能力に信頼を示さない雇用者は、その従業員が実績をあげる可能性をせばめている。そのために従業員が失敗したら、雇用者は最初の予想が裏づけられたように感じるだろう。また、実績を出してもどうせ評価してくれないと従業員がはじめから思っていたら、しかるべき信頼も敬意も得られるわけがない。

インターネットの普及と経済のグローバル化により、異文化の交流は盛んになっている。自民族中心主義も一世紀と経たないうちに消えるかもしれないが、それはわれわれがちがう文化の人々の行動を理解するようになるからではなく、文化と文化のちがいが無に等しくなるからである。そのときは、ただひとつの規範的な行動モデルが人類の大半にあてはまるようになる。そうした規範的モデルに即した行動をとらなかった人は、経済的にも社会的にもけっして生き残れないだろう。しかし、そこへ行き着くまでは、成功を収めるのはおのれの自民族中心主義を自覚している人たちであり、たとえ慣れ親しんだ行動を変えることになろうとも、みずからの置かれた社会環境に行動を合わせられる人たちであるはずだ。

集団が外部の脅威にさらされているとき、人々は同じ集団の成員に対して利己的になりにくく、寛大になりやすいように思える。われわれはそうした行動を「団結」と呼び、それは社会の存続に欠かせない。

研究者たちは、アディショナルタイムがホーム側に有利となるように与えられやすいことを発見した。

主審がホームのチームをひいきするのは、ホーム側のファンが「放射」する強力な集合的感情のためだ

人間の集合的感情の主たる源は、生命の維持に欠かせない資源を確保するためには集団の支援が必要だということにあり、それはとりわけ集団での狩りにあてはまる。狩りはもっぱら男の仕事であるため、集合的感情は女よりも男で必要となる。だから男は女よりもスポーツのファンになりやすく、愛国者にもなりやすいと言えるかもしれない。

つまり、社会から追放されるのは生存が危うくなるのに等しい窮地だと脳は見なしている。

タウマンのモデルでは、こうした人たちは自分の才能をよく知っていて、退学という「ハンディキャップ」は投資家に好ましいシグナルを送ってくれるから強みになると考える。

地域の民族的多様性が高いと、慈善活動は少なくなる傾向が見られた。地域の民族的多様性が一〇パーセント増すと、慈善活動は一四パーセント減ったという(3)。

安定した一夫一婦制を基礎とする愛情構造と社会構造は、子を生き延びさせるために親が多大なエネルギーを投資しなければならないことの帰結である。

われわれはよく知っている構造の楽節を聞くと快く感じるが、よく知っているだけでは足らず、いずれ飽きてしまう。よく知っていて予想どおりの音のなかに意外な音が混じる短い瞬間に、最大の喜びを味わう。言い換えれば、よく知らないものを楽しむためには、よく知っているものをよりどころにする必要がある。

なぜわれわれは驚きからこれほどの喜びを得るのだろう。驚きに対する感情的反応には、生存競争で有利に働く何かがあるのだろうか。答は、われわれがもっぱら驚きの経験を通じて、自分の置かれた物理的、社会的環境を認識していくからだ。驚きの経験はいずれも脳に重要な知識を植えつけ、われわれは将来それを引き出して意思決定に役立てることができる。

西洋の国々では、富はそれまでの世代が貯めたものを相続しただけにすぎない場合があるため、富を誇示しても本人の能力の最も信頼できるシグナルにはなりにくい。これはロシアではあてはまらない。今日のロシアの裕福な成人は、みずからの努力で富を得たと見てまずまちがいない。だから、富をひけらかすのは自分が才能に富んでいるというシグナルを送ることになる。

謙虚はハンディキャップ理論のひとつの形として解釈できる。

われわれは日常のポジティブな出来事を強調し、ネガティブな記憶はかすませるという選択的な記憶力を有している。

自分の能力がすぐれていることを他人に信じさせたいのなら、自分がほんとうにそう信じなければならない。

悲観的な傾向が強い臨床的うつ病の人たちのほうが、健康な人たちよりも、ポジティブな出来事でもネガティブな出来事でも確率を正確に評価していた。うつ病だとずっと現実的になるということだ。

はるかに効率的なのは、チームワークが成功したら報酬を与え、さらにチームのなかで最もよく働いた従業員に少しだけボーナスを追加するインセンティブ制度だ。こうすれば、チームの連帯感と個人の達成欲求を結びつけられる。

新しい発見はどれも、性格特性と遺伝には深い関係があることを示している。

感情が進化の過程で取り残された大昔の原始時代の遺物などではなく、われわれの合理的な面を補ってバランスを保つための高度なすぐれた道具であると納得していただければ幸いである。結局のところ、優位に立つのは思考のみに頼る人物ではなく、感じて考える人物なのだから。

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