面白かった。一見慈愛に満ちた平等主義が、結局は誰のためにも機能しないということを、経済学の視点から指摘している。
例えば価格。価格を統制することは絶対にやってはいけないと筆者は指摘する。価格は需給に応じて効率よく財を分配するためのシステムであり、パレート効率的である。つまり、そこから移動させてしまうと誰かの利益を損ねることになる。
たとえば、貧困層のために電気料金を安く統制しても、金額的には富裕層の方が得をするうえに、電気消費の浪費を招く。コーヒーの生産過剰が原因でコーヒー豆の価格が下がっているのに、フェアトレードと称してコーヒー豆の価格をあげてしまうと、根本原因である生産過剰はむしろ悪化することになる。
公正を期すためには、効率性を目指す価格システムではなく、税制によって実現すべきと筆者は主張する。たとえば、価格は外部負経済のコストを内包しない。タバコの副流煙・悪臭被害のコストはタバコの価格に反映されていない。これをピグー税として価格に上乗せすることは可能だ。
社会保障政策について、筆者は寛容だ。保険の仕組みは安定した資本主義社会では必須だからだ。民間の健康保険では逆選択問題が生じ、高リスク群ばかり加入する可能性があり、保険業者は適正な保険料を提示することが困難だ。そのため、高リスクも低リスクもまとめて全員を加入させる国民皆保険とすることで、その問題を排除できる。
ここに、現代の国民皆保険の限界が来ている原因の一つがみえる。感染症全盛期の時代には、疾病リスクは国民にほぼ平等にあった。しかし、現在は非感染性疾患=生活習慣病が疾病のメインである。生活習慣病は本書でも扱っているとおり、まさしく双曲割引の影響がでる疾患だ。長期的にみると健康を害し、経済的・身体的負担が大きくなることが分かっていても、短期的な欲求をおさえることができない。こういう性質を持った集団が疾病のハイリスク集団となる。この性質は資産形成に不利であるため、貧困層になりやすい傾向がある。
従って、現在の疾病構造は富裕層ほど低リスク、貧困層ほど高リスクとなるのは仕方ない。貧困層の行動を変えるには、短期的なインセンティブが必要となる。だから、砂糖税の導入、大腸がん検診での現金還付という話になるのだろう。
これからの医療を考えるうえでもヒントとなる本だった。
生産性を高めるとの理由で特定の政策を推進したがるやつには、即刻いんちき経済理論家の疑いをかけるべきだ。
このしくみには、二つの具体的な弱点がある。まず一つは、システミック・リスクへの備えがない。二つ目は、モラルハザードを引き起こすこと。
CDOのリスクを減らすには、一人の借り手が債務不履行になる可能性がほかのすべての借り手からほぼ独立していなければならない。
価格が市場生産水準から逸れると、結果として生じる生産および消費パターンがパレート効率的であること
価格システムの効用は、効率性を実現すること。公正さをもたらすのは所得政策の役目である。慈善的価格付は、富の移転を起こすだけでなく、期待には反するが予測しうる結果になるように、インセンティブを変えてしまう。そのような場合には、世界的な人道目標はまとまった移転によるほうが、はるかによく達成されるだろう。
なるべく国家を経済から遠ざけておきたい大きな理由の一つが、政治家は全体として、また長い目で見てきわめて不利益となる方法で経済をいじくりまわしたいという、その欲求を抑えられない
「営利」と「私利」との単純な混同
利潤を最大化することは、その企業に勤務しているどんな社員個人の、最高経営者の私利とも一致しない。公益に奉仕するよう当局から任じられた経営者の動かす公営企業は、公益にまったく関係がない経営者の動かす私営企業よりも往々にして公益の推進に役立ってこなかった。
通常なら「雇用の創出」はなされるべきことではなく経済がひとりでにすることだ。
景気後退期には経済はひとりでに雇用を創出しない。
このような状況においてのみ国家が「雇用対策」事業に着手することに注目すべきかもしれない。
「雇用対策」事業と公共事業の提供とを混同してはならない。
正答とされる根拠は、生産物ではなく払われたサラリーが生み出す景気刺激にある。目的が平均的労働者の福祉の増進であるならば、分配の問題にこだわりすぎるのは得策ではない。
市場経済での個人の雇用割り当ては計画されていないことを覚えておきたい。
市場経済でこれに代わる解決法が、ずばり競争的労働市場を持つことである。賃金を決めるのあh、経済もしくは雇用先よりも広い部門の平均生産性
エリンズリーはこれを双曲割引と呼んだ。
行動の時がはるか先であれば大きな利益の方を選ぶが、その決定的瞬間が近づくと、誘惑に負けて小さいがすぐ手に入る利益になびく現金の再分配は悪い再分配になりがちで、平等側の利益と比べて効率側の損失があまりにも大きい。
ピグー税
重大な負の外部性を伴う財に課せられるもの人々が平等にみじめか、平等に幸せかは無関心の問題であってはならない。
数理的保険料に道徳的に反対している人も多く、このために、いわゆる保険料固定の共済組合が一九世紀にはずっと支配的なモデル
社会保険は、効率の面で大きな損失を出さずに平等を高めるための、最大級の機会を提供している。
その反面、こうした機会はひょっとしたら消えていきかねない
特に、医療予測で画期的な技術革新があって、誰がどの病気にかかるか、ある人がいくつまで行きられそうかの確定からあてずっぽうを排除することになれば、関連の保険市場から生じていた効率性の向上は消えてしまうだろう。