【本】17068『30代が覇権を握る! 日本経済』冨山和彦

投稿者: | 2017-04-25

最近思うのは、「これから日本では、世代間戦争が激しくなるだろう」ということだ。
50代以上と、30代未満では、描く未来も見える世界もぜんぜん違う。
前者はいわゆる逃げ切り世代であり、若年層からみれば既得権益層である。
対して後者は、このままでは前者を養うために高負担を強いられる層である。
「世界に冠たる保険制度」、「なにかあったときの年金」という言葉は、前者にとって都合がいいが、後者にとっては、高負担を正当化する言葉として響く。

とぼんやり思っていたら、本著に言語化してあった。

筆者は、企業年金の解体などにも取り組んでおり、リアルな事例を知っている。
そのなかで、「ダメになってしまう企業に共通しているのは、世代間対立と向き合わずに放置してきてしまったという点」と言い切る。
いまの日本は、このままではダメになってしまう。

筆者も指摘するが、いまの高齢世代は経済成長にいた。そのため、裕福だ、と言い切っていい。
最近話題の高齢者の貧困問題について、様々な事例を見聞きしたが、多くが情報不足に起因するもので、自治体の担当者がきちんと交通整理すれば、ほとんどは貧困から抜け出せる。
問題は、そのインセンティブが自治体にないことだ。
貧困と健康問題も、生活保護になれば医療費は無料になるわけで、これほど恵まれた世代はいない。
少なくとも、財源で困ることはない時代だ。
しかし、これから30年後には、「無い袖は振れぬ」とばかり、切り捨てられる。問題の本質が、「高齢者の情報不足」から「財源不足」と深刻化する。

小泉進次郎議員が掲げている「こども保険」は、育児の経済的支援のために素晴らしい政策だと思うが、あの財源で国債を使うなどナンセンスだろう。
将来の世代のカネを使って将来の世代を養うようでは、世代間の所得移転が起きない。
所得税を使うのは、現役世代同士で融通し合うだけ。
消費税など全世代で将来の世代を支える姿勢を見せて欲しい。そうでなければ世代間での所得移転などできない。
しかし、本著でも指摘されているが、政治家に世代間での所得移転をすすめるインセンティブはない。だから進まないだろう。

結局、私たちは自分の身は自分で守るしかない世代なのだろう。

若い世代がこれから山を登ろうという矢先に、「経済成長はよくない」「拡大路線はもう限界だ」「目先の利益ばかり追いかけてきたから、原発事故が起きたんだ」と、山に登ることそのものを否定しようとする。これは本当に勘弁してほしい。  若い世代からすれば、「原発事故が起きたのは、自分たちの責任でも何でもない。上の世代が勝手につくって、危機管理が甘かったせいでこうなってしまった。自分たちがツケだけ払わされるのは勘弁してほしい」。彼らの気持ちを代弁すると、こんな感じになるだろうか。

章で詳しく述べるが、働いている人たちから徴収した年金保険料を高齢者に支給する世代間賦課方式をとっているかぎり、あるいは公的医療保険の自己負担率を、およそ高齢者ということだけで(所得や資産状況に関係なく)低くするようなことをやっているかぎり、この現実は変わらない。

イデオロギーとして右か左かというのは、現在はそれほど大きな意味を持たない。実際、両者(「ティーパーティ」と「ウォール街を占拠せよ」)の主張はよく似ている。スーパーコンサバ(極端に右寄り)と、スーパーリベラル(極端に左寄り)は、左右に分かれていくと思わせておいて、グルッと円を描いて最後は反対側でくっついてしまう。日本で言えば、国民新党と社民党の主張が近くなるのと同じ構図だ。

大陸欧州各国(ドイツ、フランス、イタリアなど)の民主主義は、政党の離合集散で成立する政権の民主的正統性の希薄化と政権寿命の短期化に、ひどく苦しんだ時期がそれぞれにある。そこで、民意の反映だけでなく、民意の統合機能を選挙に持たせる工夫(たとえばフランスであれば二回投票制と大統領制の採用)が必要となる

現在、唯一の根源的なリアル論点として成り立ち得る可能性があるのは、世代間格差の問題だと、私は思う。

学者や評論家が期待するほど、政策的なイデオロギーが社会現象に大きな影響を与えることはない。社会のメガトレンドは、人口動態の変化や産業構造の変化といった、もっと構造的、現実的な条件変化から生まれるものなのだ。

世界は「左右」の対立はとっくの昔に卒業していて、現在の先進国が共通に抱えている病巣は、既得権を多く持っているかいないか。つまり、世代間の対立が一つの大きな軸となっている。

私はカネボウをはじめ、過去、いくつかの企業年金の削減や解散に取り組んだ実体験があったので、彼らの良識と、生活のリアリズムに訴えれば絶対に可決する自信があった。大事なことは、悪い結果を恐れて弥縫策でごまかし続けることではなく、正々堂々と真正面から勝負に出ることだ。

伝統的な日本の大企業は、多かれ少なかれ、みな世代間対立を内部に抱え込んでいる。ダメになってしまう企業に共通しているのは、世代間対立と向き合わずに放置してきてしまったという点だ。

公的年金の積立金の運用「予定」利回りは、四・一%(長期の経済前提の名目利回り)。再生前のJALの四・五%よりは低いとはいえ、まだまだ高水準と言わざるを得ない(そのJALも再生にあたっては変動制に移行するなど、負担軽減の手を打っている)。

「国のお金」といっても、「国」という人がいるわけではない。そのため、日本語で言う「国のお金」は、じつはそのまま英語にはならない。英語では「taxpayer’s money(納税者のお金)」という表現が一般的だ。

医療費は比較的選択の自由度が低い支出なので、もし、いまでも本当に必要な医療だけを高齢者が受けているのなら、きっと貯金や年金をこの支出に回すはずだ。塩漬けのストックが、ここでもネットでGDPに加算される消費に回るのである。すると若年層が多い医療サービス従事者の雇用増、所得増にも貢献する。

他方、このままでは間違いなくタダ乗りされるだけの世代になる、いまの三〇代以下の諸君には、自分自身と自分の子どもたちの生命、生活を守るため、団塊の世代や私たちの世代に造反する正当な自己防衛の権利があることも忘れてはならない。

税収増にあれだけの執念を見せる財務当局が、所得税の累進強化にあまり熱心でないのは、所得分布の実態としてここにそれほどの効果がないことをよく知っているからだ。むしろ課税強化で、租税回避行動が活発化し、徴税効率が下がると、トータルでネットの税収が減るリスクもある。この問題は、過去、世界各国の税制の変遷の中で、ある程度実証されており、北欧も含めた多くの国々で所得税率のフラット化が進んできた大きな要因となっている。  

やはりここでも大きな課題は世代間の所得再分配の問題になってしまう

日本の高齢者の行動様式のリアリズムとして、社会保障制度への信頼感と金遣いの積極性には、どう見ても相関性はない。もしあるならば、前章で述べたように、恵まれたサラリーマン生活を全うし、蓄えもあり、公的年金も企業年金もたっぷりもらえている一部の高齢者たちが、あれほど多くの預貯金を抱え込んだままあの世へ行くわけがない。

ハーバード大学は、もともと神父養成を目的として、個人の寄付から始まっているし、スタンフォード大学は早逝した一人息子を追悼して鉄道王スタンフォード夫妻によって設立された。だからいずれも教会は、大学にとって最も古い歴史と、最も重要な位置づけを持っている施設の一つである。  

解雇規制緩和、定年制の廃止、完全能力給化の三点セットは、立場によっておいしい話と辛い話の両方が混じっており、それぞれに賛成・反対が分かれ、ついついつまみ食いをしたくなる。しかし、もう一度繰り返すが、これらは全部セットにして同時に導入しなければ、体系として機能しない。

結果として、生産性のピークは定年前の五〇~五五歳くらいになっていた。だから、年功序列や終身雇用というのは、当時の労働実態と合った仕組みだった。

組織に頼らない=「個」の時代、とは言い切れない面もある。むしろ、一つの組織に頼れない分、いくつもの共同体を天秤にかけて、複数の濃厚な「関係性」の中で生きている。

て「君には留学もさせて、これだけ教育投資をしたのに、中途で転職されると、君の後輩たちに同じような投資ができなくなる」ということを言いがちな、日本の大企業の人事担当役員は、いかにも狭量

大学でやっているような、ごちゃごちゃした指標を役所やその外郭団体がつくり、学者仲間や役人もどきみたいな連中が授業の質やら教材の質をチェックするような仕組みは、はっきり言って無意味。そもそも彼らに評価能力なんてないし、そうやって定性的な項目を決めると、結局、授業の中身は硬直化し、学校側はその評価項目に関する点数とり、アリバイづくりに奔走する。そんなものはなくても、市場の評価が世の中に明らかになれば、ダメダメ学校は自然に淘汰されていく。

医療・介護の規制改革の議論では、必ず弱者問題、格差問題を盾に現状維持を叫ぶ連中が出てくるが、この手合いの多くが、自らの既得権を守るために弱い立場の人々を人質にしているにすぎない。じつは地域医療や高齢者介護に本当に人生を賭け、いろいろなことを犠牲にして身を捧げている方々に、驚くほど規制改革派が多い。こうしたことからも抵抗勢力の正体が見えてくる。

放っておくと、そして団塊の世代や私たちの世代がよほど品格ある自己犠牲的な行動をとらないかぎり、いまの三〇代以下は、じわりじわりと搾取され続け、挙げ句に何らかの破綻が皆さんと皆さんの子どもたちを襲うだろう。この搾取構造は、政官財労のいろいろなレベルで、社会システムとしてビルトインされており、上の世代にすれば、このシステムの上で真面目に働き、このシステムを守ることが善となっている。だから悪意なく、善意の搾取が続いていきやすい(

今回の原発事故を受けて、未来世代のために私たちが最低限行うべきことは、原発問題をこうした神話の世界、非科学的な議論の地平から解放してやることだと思う。こうした議論枠組みの提起こそ、今後、この日本列島でより長く生活する三〇代以下の諸君が積極的に発言すべきテーマの一つなのだ。

ここで大事なポイントは、他の世代を批判するときに決して固有名詞を使わないこと。あくまで「団塊」とか、「上の世代」とか、集合名詞で批判する。他方、固有名詞の世界においては、尊敬すべき先輩を称え、指導を仰ぐことだ。

現実問題として抵抗勢力から権力を不可逆的に奪取し、若い世代が持続的に覇権を握れるような妥協なら大いにしてもいい。しかし、上から出てくる妥協案をよくよく見ると、たいてい既存の権力が改革派に対して「地位やカネを約束してやる」ものであり、権力の根源的な部分を譲るものではない。

もともと力を失っている旧勢力は、この約束を守れなくなっているし、ましてや権力を譲る気などさらさらない場合がほとんどだ。新撰組が土壇場で幕府から裏切られていく経緯、平氏や源義経の悲劇など、人がよく純粋な新興勢力は、したたかな旧勢力に騙されて破滅する。リアル革命世代は超リアリスト世代でなくてはならない

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