灘校生と佐藤優との対談をまとめた一冊。
まず驚くのは、灘校生の返答の的確さだ。佐藤優への対談に応募するような学生たちだから、学年のなかでも世界史や政治・経済の知識が多い集団だとは思うが、それにしても佐藤優の質問に対してさっと答えているあたりはさすがだ。
高校生当時には世界史など勉強する余裕がなかった私にとっては頭が下がる思いだ。
エリートという言葉を恥ずかしげもなく使うのは、抵抗がある。
ノーブレス・オブリージュという言葉もあるが、結局のところそれは自己満足でしかない。
そもそも、出来の悪い人間が、「世のため人のため」と言ってしゃしゃり出るほど迷惑なことはない。
三流官僚や、文化大革命、ナチスに至るまで、自らが悪いことをしているという認識があるほど客観的に自らの行いを評価できた人間は稀であることは、歴史が示すところだ。
そのような連中が、ノーブレス・オブリージュを錦の御旗のようにかかげるのを何度も見てきた。
とは言え、彼らのような自称エリートのナルシシズムもある程度は有用で、それをうまく利用できるのが、佐藤優の述べる「政治家の素質」になるのだろう。
エリートの条件の一つは、A=B、B=CだったらA=Cであると物事を論理的に考えられることだ。ところが、物事を論理的に考えるということに価値が置かれるようになったのは、比較的最近なんだよね。中世までは、理性や理屈によって物事が分かる、というのはレベルが低いことだと思われた。じゃあ、レベルが高いとは? パッと見た瞬間に事柄の本質が分かるということ。
政治家が動く原理は私が見るところ、たった二つしかない。名誉か利権。そのどっちかだ。
こんなふうに知識をいい加減にとらえ、軽く見ることが、今の日本の外交や知性の弱さに繫がっているんじゃないかなと
中世の農民はどれぐらいだったと思う? 生徒 一〇〇〇ぐらいですか。 佐藤 三四〇〇ぐらい摂ってた。 生徒一同 えー! 佐藤 中世初期には、ほとんど大麦に牛乳をかけて食べているような状態で一日中働いていたのが、フランス革命時には「パンをよこせ」と言って、みんながパンを食べるようになっていたわけ。生産力、経済力が増して生活状況が格段に向上し、また都市に人が集中している様子もわかるよね。
フランス革命がどうして起きたかというと、当時の王政では国民が経済状態に対して抱いていた不満を改善することができなかったから。それゆえに革命が起きた。まず最初に権力を取ったのは? 生徒 ジロンド派でした。
ジロンド政策は二つの問題点から長くは続かない。一つ目は税源の壁。ジロンド派が政権を握ったときも、アッシニア紙幣という没収した教会財産を担保にした国債紙幣を大量に刷ったでしょ。二つ目の問題点は? 生徒 貧困層の不満……? 佐藤 いや、まだ本格的なプロレタリアートが生まれてないから、貧困層の不満はそれほどでもない。市民層を満足させることによって、労働者層をある程度満足させることができていたんだ。二つ目の問題は非常事態だ。
ジロンドは基本的に平和主義だから、戦争という非常事態に対応できなくなった。そこで生まれてきたのが? 生徒 ジャコバン党。 佐藤 ジャコバンはどういう政策? 生徒 貧困に優しくて、規律の厳しい政治。
ジャコバンも長続きしない。どうしてか。 生徒 厳しすぎる。
国内では、そこそこ自由にやりましょうや。生活水準は上げてあげますから」と言って国の外から収奪してきたんだよね。だから、帝国主義政策というのはナポレオン政策
帝国主義的、ナポレオン的な政策の要素は、明らかに民主党政権の後半から入ってくる。ただ、まだこの政策の潜在力は十分に使われていないと考えられるので、今後また違う形で出てくるかもしれない。帝国主義は良いとか悪いとかいう話とは別に、この資本主義社会において危機に直面したとき、国家はいろんな可能性を試すわけです。
最初は「再分配」というジロンド的な言葉を使う。ところが、それがもう限界に来ちゃった。ジャコバン的な方法は、まだ十分には使ってない。
知識をどう有機的に繫げていくかと考える姿勢がないと、大量の知識を持っていたとしても反知性主義に陥ってしまう。
ニヒリズムには二つの考え方があるんです。 一つは日本で主流の考え方。ニーチェの系譜を引き、文学ではドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に流れているタイプのニヒリズム。つまり、世の中にはタブーなんて何もない。人間が自分で作り出した神様というインチキなものに縛られているだけに過ぎない。本当は何事も許されるんだと、こういう考え方。
ナチスが健康志向なのか? ナチスにとって自分の身体は自分のものじゃないの。総統のものなんだよ。だから常に総統のために戦えるよう、国民は健康でいなければならないわけ。
ニヒリズムっていうのは、ニヒルな状況の中では勝てないということになると、誰かに全面的に依存してしまうようになる危険性がある。
ロシア本来のニヒリズムというのは、既成の価値観を否定し、自分たちの理想的な社会を作っていくっていう革命思想なんだ。
人にはそれぞれ育ってきた文化による拘束性がある。それがあるから、他人の気持ちを理解することは口で言うほど簡単なことではない
この方法をとることで確かに効率的に能力を伸ばすことはできるかもしれないけれど、そういう形で思考の鋳型を作られちゃった人というのは弱いんです。つまり、その後の人生で、企業であれ、カルトであれ、役所であれ、外界から遮断されたところに入れられて、独自の価値観の中で評価されて、出口はここだっていう一点を見せられると、比較的簡単に疑問
まず、〈自虐史観か他虐史観か〉という極端な二元論は乗り越えなくてはならない。その上で、日本もやっぱり大日本帝国の後継国であるから、朝鮮半島、中国との関係においては、旧宗主国としての責任はすごくある。
検察官あるいは弁護士、裁判官など法律に関わる人の場合は、情報を扱う際に、事実・認識・評価の三つをはっきり区別することが必要とされます。
ヒューミントにおいて信頼関係を作るときに、佐藤さんが他の人に比べて優れていた理由は何だと思いますか。 佐藤 他の人に比べてというのは分からないけれども、基本的には二つのことを大切にすればいい。一つは〈約束を守る〉こと。もう一つは、〈できない約束をしない〉こと。この二つを守るのは意外と大変なんですよ。特に日本では、できないことを軽々に約束する人がけっこういるからね。
アーネスト・ゲルナーというイギリスの社会人類学者です。 ゲルナーは高いレベルでの文化を支えるためには、専門教育のレベルが低くなってくると言う。専門教育を受けた人間は応用が利かないということで職業教育上、一段下に見られるようになる。だから、一般教養が必要だと言うわけ。
戦争が起きるときの論理というのは、一般的な正義感や合理的な判断とは違うところにあるんじゃないか。第一次世界大戦の後、学術的な新しい思想がいろいろ出てくるのも、そのことと関係しています。 たとえば神学の世界だとカール・バルトの弁証法神学。理論物理学だと一般相対性理論。量子力学やゲーデルの不完全性定理が出てきたことも、第一次世界大戦のインパクトがものすごく関係している。文学・哲学の方では表現主義とか、ハイデッガーの実存主義が出てきた。それは、人間は理性的な存在であるとか、啓蒙によって科学技術を発展させていけば人類は繁栄していくんだという考え方が、第一次世界大戦の現実によって全部叩き潰されてしまったからだよね。そして、その結果出てきたのがナチズムとファシズムだった。
カトリックは、父なる神から子なる神キリストを通して聖霊を知ることができるという解釈。これをフィリオクェといいます。
対して正教会は、聖霊は父なる神から現れ出で、神の意思さえあれば、別に教会とは関係のない、キリスト教徒じゃない人のところへもストーンと落ちてくるかもしれないよね、という解釈。教会を重視するのかしないのかで、救済観や組織観が全部変わってくるから、カトリック側にとって、ここは絶対に譲るわけにはいかなかった。
北アイルランドの独立運動も、アメリカのアイルランド系移民の資金援助によって行われていたよね。自分のルーツとなる国に一度も住んだことのない人たちほど、母国に過剰な思い入れをしがちです。これを〈遠距離ナショナリズム〉と呼ぶんだけれど、国際紛争はこの遠距離ナショナリズムが強く関係している。
時代というものは二つに分けることができます。世界のスタンダードを作れるほど極端に強い国がある時代か、そうではない時代か。極端に強い国がある時代は普遍主義的な価値観の時代になる。ローマ帝国の時代もそうだったし、イギリスが一強だった時代には自由主義の時代だった。そのイギリスが弱って群雄割拠になると、帝国主義の時代が到来しました。
時代の反復現象で、おそらく世界は帝国主義に向かっていく。この状況下では、国家機能が強化され、ビットコインもタックス・ヘイブンも看過されない。この辺のところは多少時系列の前後差があっても、構造的な転換としては一つの流れとして読んでいいと思う。
アンダーソンは民族をどう定義した? 生徒 民族は想像の共同体、ですか? 佐藤 うん、想像の政治的共同体ね。想像の政治的共同体を作っていくのに一番重要な役割を果たすのは何だろ
出版産業? 佐藤 その通り。出版資本主義が重要になってくる。それは当然、文字を読める文化エリートが作り出していくものだよね。
ナショナリズムを作り出していく考え方には大きく分けて二つあることになる。一つは共同幻想によって作られたものだとする考え、もう一つは個人に先立って存在するものだという考え。
左翼側にいる人たちは理性を重視するんだ。理性というのは人類が共通して持っているわけだから、完全情報をみんなで共有して、偏見のないフラットな態度で議論をすれば、結論は一つになるはずだと考えている人たちだ。そうなると、公式や法則に当てはめれば答えを導き出せるというような、物理や科学に近いかたちで物事を考えていくことになる。
右翼はこうした左翼の考えに対抗する形で後から生まれてきた。
右翼とは何かというと、理性に対して不信を持つ人びとのこと
そもそもイランは豊富な天然ガスと石油に恵まれた国で、エネルギーが逼迫しているような状況ではない。じゃあ、なんで平和利用だと言いながら原発を作ろうとしている?
今の時点で二〇パーセントのウラン濃縮技術があるとすれば、インテリジェンスの専門家の見方だと、あと一年でそれを九〇パーセントまで高めることができる。となると、広島型の原爆は作れる。爆弾を作ったら次は核弾頭に搭載できるよう小型化しないといけないけど、それも一年あれば可能になる
パキスタンにある核弾頭の幾つかを、サウジアラビアに移動する秘密協定が存在すると国際社会は見ている。
スンニ派の「イスラム国」の影響がサウジアラビアに及んで、サウジアラビアが核を持った場合、イコール、「イスラム国」が核を持つことになる可能性があるわけ。そうしたら、これは使うぜ。
オマーンはイランとは絶対に戦争をしません。サウジアラビアとイランとの間で、非常に厳正な中立政策をとっているから。
自然科学系、国際金融、会計なんかをやりたい人は、アメリカに行った方がいい。
超エリートが集まる学校というのは、競争の問題を表には絶対に出さない文化がある
話者の誠実性を見抜く力は、非常に重要だと思う。この人の発言は戦略的なのか、それとも自分が思っていることを正直に言っているのか。
理科系でアメリカへ行くことのメリットは、あの国の大学や研究機関にはとっても金があるということ。