様々な物事の予測に長けている人が、どのような特徴を持つのかという点について述べた本。
平たく言えば、フェルミ推定とか、情報分析の本だ。
物事を予測するために、その予測に必要な情報を細分化し、それぞれについて細かく情報を探す。
そうやって、予測確率を計算していく、というのが予測成功率を上昇させるやり方だ。
新たな情報がでたら、それに応じて計算結果も細かく更新していく。(筆者はベイズ的アプローチと呼んでいる。)
当然、実態にあった予測が可能だろう。
決して、思いつきや直感に頼っているわけではない。
認知バイアスを避けるため、積極的に柔軟になり、自分の仮説と反するエビデンスを集め、意見の異なる人の意見を聞くことが重要だ。
一年先といった時間軸が短い質問では、当てずっぽうより高い成果を出すのは容易で、三~五年先のこととなると専門家の予測の正確性は落ちる、つまりチンパンジーがダーツを投げるのと変わらないレベルになっていく。
超予測力には柔軟で、慎重で、好奇心に富み、そして何より自己批判的な思考が欠かせない。集中力も必要だ。卓越した判断を導き出す思考とは、楽にできるものではない。かなりの一貫性をもって卓越した判断を導きだせるのは意志の強い者だけであり、われわれの分析でも優れた実績を出す人の予測因子として最も有効なのは「自らを向上させようとする強い意志」であることが繰り返し示されている。
「思考プロセスを模倣し、思考を理解することと、新たな思考を生み出すことはまったく違う」とフェルッチは指摘する。後者は人間の判断が常に支配する領域だ。
意思決定をするか説明する際に、現代の心理学者がよく用いるのが、われわれの頭の中を二つの領域に分割する二重過程理論である。「システム2」とはおなじみの意識的思考の領域である。ここにはわれわれが意識を向けようと決めたことがすべて含まれる。対照的に「システム1」をわれわれが意識することはほとんどない。
システム1は「本当らしいから本当だ」という原始的な心理ロジックに従う。
問題はわれわれが混乱した不確実な状態(「なぜ私の指がシャベルの写真を指差しているのかさっぱりわからない」)から、明白で自信たっぷりの心理状態(「ああ、簡単な話だ」)へと、あまりにも速く移行し、そのあいだに少し時間をとって考えようとしないことだ(「これが理由かもしれないが、他にも考えられる説明はある」)。
知性と知識は予測の正確さを高めるが、その効果は限られているというのだ。
集合知の質は、何を集めるかで決まる。何の知識もない人の判断を大量に集めても、あまり価値は高くない。少しでも知識がある人の判断を集めるほうがよく、それが十分な量集まれば驚くべき結果につながることもある。ただ最も効果的なのは、異なる分野についてそれぞれよく知っている人の判断を大量に集めることだ。そうすることで集団としての情報量ははるかに大きくなる。
確率論的にモノを考える人は「なぜことがおきたのか」という問いにそれほどとらわれず、「どのようにことがおきたのか」に注目する。単なる言葉の問題ではない。「なぜ」はわれわれを哲学へ、「どのように」は科学へといざなう。
このように人生の出来事に意味を見いだす能力は、幸福さと正の相関があるが、予測能力とは負の相関がある。そうなるとかなり気の滅入るような可能性が出てくる。不幸なのは正確な予測能力の代償だろうか?
研究では一つの分野における予測能力は、他の分野ではまったくと言っていいほど役に立たない。
慎重 確実なことは何もない。 謙虚 現実はどこまでも複雑である。 非決定論的 何が起きるかはあらかじめ決まっているわけではなく、起こらない可能性もある。
積極的柔軟性 意見とは死守すべき宝ではなく、検証すべき仮説である。 知的で博識。認知欲求が強い 知的好奇心が旺盛で、パズルや知的刺激を好む。 思慮深い 内省的で自己を批判的に見ることができる。 数字に強い 数字を扱うのが得意現実的 特定の思想や考えに固執しない。 分析的 鼻先越しの視点から一歩下がり、他の視点を検討する。 トンボの目 多様な視点を大切にし、それを自らの視点に取り込む。 確率論的 可能性を多段階評価する。 慎重な更新 事実が変われば意見を変える。 心理バイアスの直観的理解 自分の思考に認知的、感情的バイアスが影響していないか確認することの重要性を意識している。
しなやかマインドセット 能力は伸ばせると信じる。 やり抜く力 どれだけ時間がかかろうと、努力しつづける強い意志がある。
「エビデンスに基づく政策」はエビデンスに基づく医学をモデルにした取り組みで、政策を厳密に分析し、想定された効果を発揮するのか議員が(単に把握した気になるのではなく)本当に把握できるようにするのが目的だ。