【本】16145『結婚と家族のこれから~共働き社会の限界~』筒井 淳也

投稿者: | 2016-12-31

なかなかおもしろい本だった。
結婚の成り立ちから始まるが、最後はケアの話にまで及ぶ。
個人的には、ケアの部分が面白い。

子育てを誰が担うか。
例えば欧米では、ナニーが担う。これは、世界的な所得格差を利用したケア・チェーンである。住み込みでも月5万で雇えるフィリピン人家政婦をつかって子育てができる。

一方では、これを家族におしつけているのが日本だ。しかしこれは、筆者が指摘するように、家族が失敗したときのリスクが大きくなる。そんなプレッシャーが大きくなると、家族をつくるのから逃避してしまうじゃないか、というのが筆者の主張だが、それは私にはよく分からない。

面白いのは、これは介護にも共通の問題という点だ。結局、介護も在宅介護というお題目で家庭におしつけているのが現状だ。筆者の主張から言えば、このリスクから逃避すべく、親元を離れるという傾向も生まれるのではないか?(例:村に住む若者が、親を介護する恐怖から都市部への移住願望が強くなる)

“男性も女性も同時に複数の相手と親しい仲になることがあって、「誰かと付き合っているときは他の人と付き合ってはならない」という強い規範はありませんでした。これを「対偶婚」といいます。 「妻問婚」といわれる日本古代の結婚生活の方式も、このつながりで理解できます。妻問婚とは、昼間は自分の家にいる配偶者の男性が、夜に妻の住居を訪ねるという方式の結婚生活です。古代社会では、夫婦は妻問婚を経て、妻方の親との同居や独立居住に移行した”

“「産む性」としての女性が抱えている様々な問題は、もはや家族、特にジェンダー家族によって解決される必要がない、ということになります。子どもを生み、育てる女性が頼るのは、特定の男性、つまり夫ではなく、社会全体でもよい、という主張”

“商家でも武家とは事情は異なりました。特に江戸時代の商家は、武家と違って官職で食べていくわけではなく、ある程度は経営の実力で食べていく世界に置かれています。ですので、家=会社の跡継ぎは必ずしも家長の実子になるわけではなく、むしろ社員(奉公人)のなかから有能な者を娘の婿とすることで、後継者とした”

“血統を重視する理由がないという点は、農業に代わって私たち現代人の豊かさの源になった商業、工業、そしてサービス生産についても同じです。江戸の商家で重視されたような個々の才覚や、農家で重視された共同作業の円滑な遂行が重要になってきます。「この人は誰の子どもか」ということは、それ自体ではなんの価値も持ちえません。”

“社会学や人類学では、配偶者選択は基本的に「アレンジ婚(arranged marriage)」と「恋愛婚(love marriage)」に分けられます。”

“結婚や家族が経済活動の場である「家」に埋め込まれていた社会では、結婚や家族のかたちはたしかに「多様」でした。  それは、経済活動が多様だからです。”

“シングルマザーや同棲が貧困問題の原因なのではなく、貧困がこれらを問題化しているのです。”

“サービスを民間から調達する際の条件についてお話ししました。それは、所得格差でした。もちろん、それ以外のあり方も考えられます。北欧社会や一部の大陸ヨーロッパ社会では、育児や介護といったケア・サービスのほとんどは公的機関によって提供されています。各々の家庭が家計から直接ケア・ワーカーに報酬を支払うのではなく、税金や社会保険料として、一度政府が徴収したお金を使って政府がケア・ワーカーを雇用したり、民間企業に委託したりして、サービスを提供するわけです。これを「社会サービス」といいます。日本でも、保育や介護においては部分的にこのような仕組みを作り上げています。”

“平等主義的な共働き家族が、意図せざる結果として誰か――たいていは低所得者――のケアの機会を剥奪している”

“ワーク・ライフ・バランス政策が充実するなどしてフルタイムの共働きカップルが増えていくと、たとえ全体的な賃金格差が縮まっていても、世帯所得の格差は広がります。というのは、所得の高い男性がやはり所得の高い女性と結婚し、他方で所得の低い男女が一緒になることが多いからです。”

“「上位のもの同士から順にマッチングしていく」ことを、同類婚のなかでも「アソータティブ・メイティング(assortative mating)」と呼ぶ”

“家族が最後のセイフティ・ネットになるような社会では、家族が失敗したときのリスクが大きくなります。”

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。