2003年に発売されたベストセラーだが、面白い。
加賀百万石の会計係であった猪山家の家計簿を元に、幕末から明示初期にかけての武家の経済状況、文化、価値観などが想像できる。
中心となるのは第八代当主の直之と、第九代当主の成之の親子の話。
まず、江戸時代末期の下級武士の経済状況が分かる。
直之は厳しい教育の結果、息子たちも御算用者にした。
その給料は、知行地からもらうか切米として支給されるかである。切米から知行になるというのは、今で言うと派遣社員から正社員になるようなものだろう。猪山家も出世して知行地をもらい、切米五〇俵から知行七〇石となった。
しかし、『実収入は切米五〇俵のときには玄米二五石(米一石=一五〇kg)だった年収が、知行七〇石になると玄米二二・五石になり、かえって減ってしまった』。
給料の支給方法についても興味深い。知行地の領主として収入を得るとはいっても、直接統治するわけではない。加賀藩は中央集権型であり、藩士は城周辺にすまなければいけない。実際に統治するのは藩の官僚機構である。
藩士は、知行地の石高に相当する分を支給されるだけであり、知行地との縁は強くない。これは藩風にもよるようで、仙台藩などは知行地を統治していたようだ。
知行地との縁を希薄にすることは、領民を組織化して反乱などを起こしにくくする意味もあったのかもしれない。
息子を御算用者にしたおかげもあり、猪山家の世帯収入は現在で言うと1000万円を超えるほどになっていた。しかし一方で、借金はその倍くらい抱えていた。
それは、身分費用と言われる、武士特有の交際費などが原因だった。親族の冠婚葬祭のたびに出費がかさみ、親族や主家、町人、藩役所などに借金を重ねていった。
後半の描写からは、国民が環境の変化に適応する力を感じる。
明治5年には、士族で出資した畜産会社からもらった牛肉を食べているし、毎朝牛乳を飲みに行っている。
さらに、教育描写もすさまじい。
前述のとおり、猪山家のような下級職は世襲制ではないため、算術が得意でなければ御算用者を継ぐことはできない。
したがって、成之の幼少期には直之がソロバンで殴りつけるなどのスパルタ教育を行っていた。
明治維新後には、直之は時代の激しい変化を嘆きながらも、自分に残された役目は教育だと述べ、東京へ単身赴任している成之に代わり孫への教育に意気込んでいる。
それも運良く海軍へ入った息子の収入がいいことを知っているからであり、軍へ入るための道具として孫へも厳しく教育をつけたようだ。
成之自身も、手習いをすべて東京まで送らせるなど、教育パパぶりを見せている。
その甲斐あってか、孫はいずれも海軍への勤務を行っている。
本書は、普遍的なスキルを持っていたおかげで、新時代を生き抜くことができた猪山家の話である。
家柄にあぐらをかいていて没落していった高級武士がいた一方で、このようにたくましく生き抜いた下級武士もいた。
硬直化した医療界も、幕末の武士と重なる部分があるのではないか。