【本】17065『日本と中国経済 ──相互交流と衝突の100年』梶谷懐

投稿者: | 2017-04-22

中国の歴史を、日本とのかかわり、特に経済的な関係のなかで描いた本だ。
国交が断絶していても、ともに大量の人口を抱えた隣国同士であり、民間ベースでの経済交流はあったようだ。

中国農村の共同体が、日本人のイメージする農村の共同体とは異なるというのは面白い。
彼らの共同体は、支え合いというよりも競争のなかにあったようだ。
アジア圏とはいえ、こうした差異があるのは面白い。

抗日戦争から国共内戦にかけての激動に、日本が与えた影響は当然大きく、読み応えがある。

重要なのが、国際都市としての上海に存在した「租界」という場所の特殊性です。租界は、治外法権により相対的にセキュリティが維持された地域であり、電力・水道などの産業インフラが比較的整備されていたため、近代的産業の発展の母体となった

このような群衆による暴力の行使を、「義挙(=正義のふるまい)」として肯定するかどうか、という問題は、その後も現代中国の歴史の中ではたびたび生じてくることになります

浙江財閥は国民党と深い関係を持ち、国民政府の国内債を積極的に引き受け、国民政府主導の輸入代替工業化を資金面で支えたのです

介石率いる国民党には、共産主義者に対する徹底的な弾圧に代表されるように、独裁的な性格があったのも事実です。ただそれは、むしろ今日でいう「開発独裁」、すなわち経済開発優先の権威主義的政権の一つの側面として理解でき

二〇世紀初頭における中国大陸への日系資本の進出は、大まかに言って上海周辺に進出した在華紡のような軽工業と、満洲に進出した鉄道インフラや鉄鋼業などの重化学工業の二つの流れに分けることができます。ちなみに石井寛治は、前者を「在華紡路線」、後者を「満鉄路線」と呼んでいます

中国経済の発展という観点からみた日本軍の侵略の最大の問題点は、それまで存在していた経済の有機的なつながりをズタズタに切り裂いてしまっ

日本共産党の党員として検挙され、有罪判決を受けた経験も持つ平野義太郎は、いわゆる講座派マルクス主義の中心的な論客として出発しました

議論の特徴は、中国と日本をともに村落共同体という共通の基盤を持つ同質的な社会としてとらえようとした点にあります。このような日中の村落共同体に同質性をみる平野の議論は、共通の土台を持つ日中が手を携えて欧米列強に対抗していくという、大アジア主義の主張につながっていくので

戒能通孝は、調査対象であった華北農村に日本のような「村落共同体」は不在であることを主張します

西洋や日本と比べたときの中国社会の「停滞」の要因を、その「村落共同体」の不在に求めました。戒能は、いわゆる村落共同体を「封建制」成立の基礎としてとらえ、社会の近代化を準備するものと理

です。中国農村に関する研究が進んだ現在では、少なくとも彼らが調査を行った華北農村では、日本の農村におけるような「共同体」的なつながりを見出すのが難しい、という見解が定説

中国の伝統的な農村のあり方と、共産党による土地改革の成功という二つの現象との間には、一種のミッシングリンクが存在してい

ミッシングリンクをつなぐものとして歴史家たちが注目したのが、抗日戦争、国共内戦という二つの過酷な戦争による食糧と人員の「戦時徴発」の存在です

こうして、過酷な戦時徴発の実施は中国農村における疑似階級対立ともいうべき激しい闘争の原因となり、それが共産党の土地改革を受け入れる土壌を形成し

一口に文革といっても、紅衛兵による造反運動を通じた混乱の時期(一九六六~一九六九年)と、各地に革命委員会が成立し政治状況が比較的安定した時期(一九七〇~一九七六年)とに分けて理解する必要があります。  

改革開放政策が始まったころの共産党内の指導者たちを「中央統制派」「生産力重視派」「市場化推進派」の三類型に分類して

日本のODAは、欧米による開発援助に比べると、その有償支援比率の高さ、特に経済インフラ建設に対する融資への偏重、また援助地域で見ると中国、インドネシアをはじめとしたアジア諸国への集中が顕著

日本政府は欧米諸国の援助のように、政治的な条件付けを行うことに対しては一貫して否定的で、人権・民主主義の重要性を考慮しつつも、「押し付け」はしないという態度を貫いた

共産党の大きな変動を主導したのが江沢民政権(一九八九~二〇〇二)による「三つの代表論」です。二〇〇二年の第一六回中国共産党大会では江沢民の「「三つの代表論」重要理論」を党綱領として採択しました。これは、共産党が、①先進的な生産力、②先進的な文化、③最も広範な人民の利益、

欧米の「影の銀行」の特徴は、証券会社がCP(=コマーシャルペーパー)の提供によって市場から短期資金を大量に借り入れ、CDO(=債務担保証券)などの仕組み債の取引を通じて、レバレッジを高めた高リスクの運用を行うところにあります。  

中国版「影の銀行」はこのような高度な金融商品の取引を前提としたものというより、金融当局の規制の目を逃れるため商業銀行が簿外取引を行うというのが最も一般的な形態でし

深は「情報の流通」において重要な二つの点を兼ね備えていました。一つは、経済特区として早くから委託加工貿易や直接投資の形を取って外国企業の進出が集中していたこと。もう一つは、地域の産業基盤が大企業独占型ではなく、無数の中小企業がお互いに競争しつつ、時に協力し合う仕組みが整っていること

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