子供の発達に関する本だ。
プレスクールの利点は、知能の向上ではなく、自主管理能力、要は人格の向上につながり、それが長期にわたって効果を及ぼすことだという。
貧困自体が問題なのではなく、貧困に伴うストレスが発達を阻害する。したがって、適切な学校環境を整えることで健全な発達を促すことができる。
この理論にしたがって、貧困層でも通うことのできる学校が作られ、一定の成果を挙げている。
GRITという本があるが、本書でもこのような「やり抜く力」の重要性を指摘しており、それを育みやすいのは、幼少期に適切な学習機会を与え、チャレンジを経験させることだと述べている。
チェスを使った教育の例も挙げられている。こどもの衝動性を抑えるために、囲碁やチェスなどを使うのは、間違いなく効果的だとは思う。
衝動を抑えること、手もとの作業に気持ちを集中すること、気を散らす罠を避けること、感情をコントロールすること、考えを整理すること。ツールズ・オブ・ザ・マインドの創設者たちはこうしたスキルが──彼らが「自主管理能力」の範疇にあると考えるものが──従来のメニューどおりの学習準備よりも一年生以降の成果につながると信じている。
ほんとうに重要なのはそれとはまったく異なる「気質」、つまり粘り強さや自制心、好奇心、誠実さ、ものごとをやり抜く力、自信などを伸ばすために手を貸せるかどうかであるという。経済学者はこうしたものを「非認知的スキル」と呼び、心理学者は「人格の特徴」と呼び、一般のわたしたちはこれを「性格」ととらえる。
第一の驚きは、彼らがつくったプログラムには長期にわたる知能への効果はなかったが、行動や社会性にかかわるスキルは確かに向上したことだった。
格差を是正するための方策も公衆衛生学の教科書に書いてあった。低所得の家庭が医療機関、とくに一次医療(一般的な疾病の予防や初期治療)を扱う機関にかかりやすいようにすることがその方法だった。
グラフの底辺、つまりX軸にはACEの数字をふり、Y軸には肥満、鬱、性行為開始年齢、喫煙歴などの項目をあてた。どの表でも一貫して、棒グラフは左(ACEの数値ゼロ)から右(とくに七以上)にいくにつれて確実に伸びた。
人間の生理システムは急を要する身体的な非常事態に反応するよう進化してきたものである」とサポルスキーは書いている。「しかしわたしたちは住宅ローンや人間関係や昇進について心配することでそのシステムを何カ月ものあいだ使いつづける」。こうした生理システムの使い方は効率が悪いだけでなく、きわめて有害でもある。その証拠はここ十五年以上のあいだに多く発見されている。HPA軸に、とくに幼少期に負荷をかけすぎると、長期にわたる深刻な悪影響が体にも、精神にも、神経にもさまざまに出てくるのである。
わたしたちをかき乱す原因がストレスそのものではない点だ。原因は、ストレスに対する反応
脳のなかで幼少期のストレスから最も強く影響を受けるのが前頭前皮質、つまり自分をコントロールする活動──感情面や認知面におけるあらゆる自己調節機能──において重大な役割を果たす部位である。このため、ストレスに満ちた環境で育った子供の多くが、集中することやじっと座っていること、失望から立ち直ること、指示に従うことなどに困難を覚える。
実行機能の能力を阻害しているのは貧困そのものではなく、貧困にともなうストレスだったのである。
問題は生物学上の母親の習慣ではなく、育てた母親の習慣だった。生まれてすぐのころになめられたり毛づくろいをされたりした快い経験を持つ子ラットは、そういう経験のない子ラットよりも勇敢で大胆に育ち、環境にもうまく適応した。
ジェンガのゲームのさいちゅうに母親が子供の感情の動きに敏感だったら、子供が人生で直面する苦境がアロスタティック負荷に影響を及ぼすことはほとんどない
生後一カ月ほどのあいだ、泣いたときに親からすぐにしっかりとした反応を受けた乳児は、一歳になるころには、泣いても無視された子供よりも自立心が強く積極的になっ
愛着関係を育むほうが、子供の成長や改善に寄与する可能性がはるかに大きい。
大学で粘れるのは必ずしもKIPPでトップの成績を取っていた生徒たちではなかった。楽観的だったり、柔軟であったり、人づきあいにおいて機敏だったりといった、何かほかの才能や技術を持った生徒たちだった。
オプティミストは、よくないできごとについては特定のものであり、限られたものであり、短期間のものであると解釈する。
子供が時間を引き延ばすために効果があるのはマシュマロについてちがう考え方ができるような簡単な助言があった場合だった。
いちばん長くマシュマロを我慢できた子供たちが使ったような自制のテクニックの問題点は、ほしいものがはっきりわかっているときにしかうまく使えないことである。
彼らの得点が高かった理由は簡単だ。ほかの生徒より懸命に取り組んだからである。そして労働市場が実際に重きを置くのは、見返りがなくてもテストに真剣に取り組むことができるような、内なるモチベーションを持っていることだ。
ここ数十年のあいだにパーソナリティ心理学の研究者のあいだにできあがった共通認識では、気質の分析に最も有効な方法は、気質を五つの要素──ビッグファイブ──に沿って考えることであるという。協調性、外向性、情緒不安定性、未知のものごとに対する開放性、勤勉性の五つ
「勤勉性にも何かネガティブな側面があったらいいんですが」とロバーツはわたしにいった。「現時点では、生涯にわたって望ましい成果をあげるいちばんの要素だと思われます。まさにゆりかごから墓場まで、ものごとをうまく運ぶためのね」
ピーターソンは研究をもとに、その後の人生の満足度や達成度ととくに深くかかわる強みを割りだした。なんどか微調整を重ねたあと、最終的に七つの項目を含むリストに落ち着いた。
・やり抜く力 ・自制心 ・意欲 ・社会的知性 ・感謝の気持ち ・オプティミズム ・好奇心
こんにちの富裕な親たちは子供と精神的に距離をおきたがり、同時に高いレベルの成果を要求する。これは子供たちに有害な影響を与える「強烈な恥辱と無力感」をつくりだす可能性があるとレヴァインは主張する。
豊かでも貧しくても、子供の不適応を予測できる材料となる家庭の特質は共通していた。母親のアタッチメントのレベルが低いこと、親が過度に批判的であること、放課後に大人の目が行き届かないことなどである。
ば、豊かな子供たちが抱える悩みのいちばんの原因は「成果をあげることへの過大なプレッシャーと、精神、感情の両面における孤立」だった。
若者の気質を育てる最良の方法は、深刻に、ほんとうに失敗する可能性のある物事をやらせてみることなのだ。ビジネスの分野であれ、スポーツや芸術の分野であれ、リスクの高い場所で努力をすれば、リスクの低い場所にいるよりも大きな挫折を経験する可能性が高くなる。しかし独創的な本物の成功を達成する可能性もまた高くなる。「やり抜く力や自制心は、失敗をとおして手に入れるしかない」
がTPOのむずかしいところだ。特権階級の文化のなかにいる子供たちは必ずしも学校で形式的な態度を保たなくてもいい。いや、もっと正確にいうなら、リバーデールのような学校では背筋を伸ばさずにいたり、シャツの裾を出して着たり、教員とふざけあったりすることのほうがふつうの行動なの
ここでは、子供たちはすでにマナーくらいは心得ているという前提があります。だからおかしな姿勢で椅子に腰かけたいならそうすればいい。ところがKIPPでは、駄目駄目、みんながきまりに従わなければ、といわれるんです。なぜなら規則を遵守することが成功への助けになるとされているから」
いる。「習慣と性格とは本質的にはおなじものです」とダックワースはKIPPの教員に説明した。「よい子供と悪い子供がいるわけではなく、よい習慣を持った子供と悪い習慣を持った子供がいるのです。
実行機能のうち最も重要なものは、認知における柔軟性と自制のふたつだ。認知の柔軟性は、ある問題に対しこれまでとはべつの解決を見つける能力、既存の枠組みにとらわれずに考える能力、なじみのない状況に対処する能力である。認知の自制は、本能あるいは習慣による反応を抑制し、代わりにもっと効果の高い行動を取る能力である。
負けは客観的に眺めること、失敗で自信を失わないこと、
だけど教師としてのわたしの仕事は、鏡になることだと思う。盤上での行動について話しあい、考える手助けをすること。子供にとっては大事なことなの。たいへんな力を注いで何かをしようとするとき、大人が上からでなく、一緒になって真剣に見つめる。そういう機会は決して多くないけれど、わたしの経験からすると、子供たちはほんとうにそれを必要としている。でもそれは愛してるとか、母親のように育てるのとはちがう。わたしはそういうタイプの人間ではないから」
野心についていうなら、何かを〝欲すること〟と〝選ぶこと〟の区別はきわめて重要だ」
子供時代を、あるいは人生全般にわたって、たくさんのものに少しずつ興味を持ってすごすのがいいのか(わたしはこれだ)、それともひとつのことに多くの関心を注ぐほうがいいのか。スピーゲルとわたしはこの疑問についてよく議論をしたが、一事に集中することの利益を主張する彼女のいい分に説得力があったことは認めざるをえない。
ことの大小を問わず何かの理論を実証しようとするときに、人はその理論に反する証拠を探そうとはせずに、どうしても自分が正しいことを証明するデータを探してしまう。「確証バイアス」として知られる傾向である。これを乗りこえる能力がチェスの上達においてはきわめて重要な要素だった。
わたしたちがみなこうしたゲームが下手なのは確証バイアスのせいである。ほんとうだと思うことを裏づける証拠を見つけるほうが、まちがっている証拠を見つけるよりもずっと気分がいい。
大学の入学にはそう大きな問題はないことがわかってきた。限定や不平等の問題があるのは卒業のほうだった。
著者たちの言葉を借りれば、「高校の成績が非常によかった学生の大多数は、たとえその高校が困難校でも、どこであれ入学した大学をきちんと卒業した」。
人間で高LGに相当する行為があるとすれば、慰めたり、ハグをしたり、話しかけたりして安心させることのは
エリントンが大きくなるにつれ、大多数の親たち同様わたしも気づいたのだが、愛情やハグ以上のものが必要になった。規律、規則、限度などだ。はっきりノーという人間が要る。そして何よりも必要だったのが子供に見あった大きさの逆境、転んでもひとりで──助けなしで──起きあがる機会だった。ポーラとわたしにとってはこちらのほうがむずかしかった。ハグをしたり慰めたりすることとちがってなかなか自然にできなかった。しかも、わたしたちが直面するこの長い苦闘はまだはじまったばかりだった。子供にすべてを与えたい、子供をすべての害悪から守りたいという衝動と、ほんとうに成功者になってほしいならまずは失敗させる必要があるという知識との葛藤である。もっと正確にいえば、失敗をなんとかすることを学ばせる必要があるのだ
貧困がかかわる学業不振の根本的な原因を探すときに、まちがった犯人に焦点を合わせ、科学が教えてくれる最大のダメージを無視してしまうのか? 理由は三つあるように思われる。第一に、当の科学的な見方そのものがあまりよく知られていない、あるいはあまりよく理解されていないからだ。難解な理論は濃い霧のようで、なかなか向こう側を見とおすことができないからだ。いいたいことを説明するのに「HPA軸」のような用語を使うときにはいつも苦労する。 第二に、低所得の家庭に暮らしていない者は、貧困家庭における家族の機能不全について話すことに、当然ながら少しばかり落ちつかないものを感じる。他人の家庭を取りあげて公然と批判的に議論するのは無礼ではないか。とくに、自分が持っているものを相手が持っていない場合、その相手のことを話すのは失礼にあたるのではないか。論評するのが白人で、論評の対象となる親が黒人ならば、誰もがさらに落ちつかない気持ちになる。これはアメリカ人の政治と心理にとってタブーに近い問題を否応なく掘り起こす話題なのだ。 第三に、新しい逆境の科学は複雑に絡みあったもので、そのなかには根深い政治信念に反する難題が──左右どちらの派閥にとっても──含まれるからだ。リベラルにとっては、保守派がある大事な一点において正しいことが科学的に示されてしまった。性格が重要である、という点だ。貧困に対抗する手段として、不利な状況にある若者にわたしたちがさしだせる最も価値あるツールは「性格の強み」をおいてほかにない。キーサ・ジョーンズやケウォーナ・ラーマやジェームズ・ブラックが見事なほど多く持っていたもの、つまり誠実さ、やり抜く力、レジリエンス、粘り強さ、オプティミズムである
ハーバード大学内の児童発達研究センターの所長ジャック・ションコフは、低所得層の親への効果的な支援プログラムを子供が小さいうちに実施すれば、あとになってから治療教育や職業訓練をする現行のアプローチよりはるかに費用がかからないうえに効果もずっと高い