2016年3月11日 朝日新聞 生活面にて、取材記事が掲載されました。
(おなじ空の下で 東日本大震災5年:1)心決め、踏み出した道 『被災地で「健康守る」』
http://www.asahi.com/articles/DA3S12251699.html
貴重な機会をいただき、ありがとうございます。
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■被災地で「健康守る」 福島・相馬市の病院の内科医に
相馬中央病院(福島県相馬市)で働く内科医の森田知宏さん(28)は、震災をきっかけに医師として進むべき道が定まったと感じている。
人の役に立つ仕事がしたくて、子どものころから医師を目指した。中高一貫の有名私立校から現役で東大に入った。将来は内科で何かの専門医になろうか……。医学部の卒業まで1年となり、ぼんやり考えていた。そんなとき、震災と東京電力福島第一原発事故が起きた。
その年の5月、福島県飯舘村で住人の健康診断を手伝った。村ごと避難するのを前に不安で医師と話し込む人もいた。「焦りが伝わってきて、これは大変だと思いました」
国家試験の勉強の合間をぬって福島に通い、停電した病院でデータ入力などを担った。てんてこ舞いの医師の姿を見て、「この地域で働こう」と決めた。卒業後、千葉県内の病院で2年間の研修を終えて、相馬中央病院に赴任した。ほとんどの同級生は高度な専門医療を目指して後期研修に進んだが、早く被災地に行きたかった。
8人いる常勤の医師では一番若く、勉強することは山のようにある。月に数回、家を流されたお年寄りが共同生活を送る長屋を訪ね、心配ごとがないか聞いて回る。
「このお薬、飲んでも大丈夫かね?」「漬物作ったから、持って帰ってよ」。お年寄りたちは森田さんがやってくるのを楽しみにしている。
「最先端の医療で限られた人を救うことも素晴らしい。だけど僕は、できるだけたくさんの人の健康を守るような仕事を、この場所でやっていきたいと思っています」
(長谷川陽子)