【本】17085『ベーシック・インカム 国家は貧困問題を解決できるか』原田泰

投稿者: | 2017-06-12

ベーシック・インカムについて理解不足だったので、本を読んでみた。
結論から言うと、私は賛成だ。

日本は税金の種類が多すぎる。セーフティネットは確かにあるが、申告制のものが多すぎる。高齢者の貧困の大半は、この申告制をなくすことで解決できるはずだ。
申告制のまま放置するのであれば、申告資格があるのに貧困のままいる高齢者たちに対してサポートする責任が行政にあるのではないか。

ベーシック・インカムにすれば、このような申告制の控除や補助金などをシンプルにすることができる。ベーシック・インカム+収入の合計を課税所得にする方法もあるし、収入だけに課税する方法もある。いずれにしても、累進課税を実現することは可能だ。

ベーシック・インカム賛成派の主な意見は上記のものが多いように思う。結局、精度が複雑すぎる。そのスキに、天下り機関や官僚のつけいるスキが多いように見えるから、ベーシック・インカム導入でシンプルにするのが良いのではないか。

ただし、これで貧困が解決できるかどうかは別問題だ。貧困層は、双曲割引の考え方をしてしまう人が多いため、ベーシック・インカムを渡してしまってもすぐに使い切ってしまい、結局貧困から脱却できない可能性が高い。

貧困解決のためには、現物支給など、お金以外の方法の方が効果的では有るだろう。
しかし、徴税の効率化や無駄なコスト削減のためには、ベーシック・インカムは有用な政策だと考える。

一九六〇年代以降でもっとも重要な変化は、子が資本財ではなく消費財になったことである。

公立の保育所で子どもを一人預かるのに月額で、ゼロ歳児四一万五五一八円、一歳児二〇万六〇七五円、二歳児一八万四四六八円、三歳児一〇万九六八六円、四~五歳児九万九五八五円かかっているが、保護者が実際に払う保育料は六万円から二万円程度である(東京都板橋区子ども家庭部保育サービス課「保育園の運営にかかる費用の負担割合」平成二十三年度決算値、による。

公的扶助を受けている人々(子どもを含む)の総人口に占める比率も〇・七%と低く、OECD諸国の平均(七・四%)の約一〇分の一にすぎない。

二〇一一年では、公的扶助支出額のGDPに占める比率は〇・七%(国立社会保障・人口問題研究所ウェブサイト「社会保障統計年報データベース」第9節「生活保護」の第二七六表「保護費〔扶助別〕」)、公的扶助を受けている人々の総人口に占める比率は一・六%となっている(同第二七一表「被保護実世帯・被保護実人員・保護率」)。どちらの比率もほぼ倍に上昇したわけである。

ビスマルクは、平均寿命が六十歳のときに、六十歳からの年金制度を作って、これでドイツ国民は安心だと説いた政治的天才

ば、日本は相対的貧困率で見ると先進一四か国中二番目に不平等だというのである。

厚生労働省「国民生活基礎調査」を用いたからだという指摘もある。この調査は、福祉事務所を通じて行われるので、所得の低いサンプルがより集まりやすい。

他の国は通常の家計調査を用いているので、日本も総務省「家計調査」または同「全国消費実態調査」を用いるべき

二〇〇〇年代(二〇〇〇~〇九年)の中ごろでは、全国消費実態調査を用いるとジニ係数は〇・三一四ではなくて〇・二七三となり、二二か国中平等なほうから数えて、一六位ではなくて一一位

ハーバード大学の哲学者ジョン・ロールズは、このような思考実験によって以下のように説く(

公共政策は、社会のなかで最下層の人々の効用を高めることを目的とすべき

社会全体の効用を最大化する功利主義とは異なって、最下層の人々の効用を最大化することを主張している。ロールズの主張は、最小(ミニマム)を最大化(マックス)するという意味で、「マクシミン原則」と呼ばれる。

少なくともフィリピンが、日本よりアメリカの植民地であったほうがましだったと思ったことは間違いない。山本七平は、フィリピンの人々は、アメリカ軍捕虜が移送されるときには花を投げたが、日本軍捕虜が移送されるときには石を投げたと書いている(山本七平「石の雨と花の雨と」、『一下級将校の見た帝国陸軍』文春文庫、一九八七年)。  

お金を給付すれば、貧困の問題の多くは解決するはずだという単純なアイデアが現実化しないのだろうか。一つは、金額についての合意が得られないからである。フリードマンの考えている程度の金額であれば、いつでも実現できる(

もう一つは、福祉政策についての家父長的発想が根強いからである。

すべての資産と所得に公平に課税すれば、BIを給付しても公平になる。BIは、所得控除に代替するものだから、少額の資産を優遇するような資産課税は廃止する。

千葉大学の水島治郎教授は、ヨーロッパ、特にオランダやデンマークのように、福祉が発達し、しかも寛大な移民・難民政策を採用してきた国々において、移民政策の転回という事態が発生していると指摘している(水島治郎『反転する福祉国家――オランダモデルの光と影』第3章・第4章、岩波書店、二〇一二年)。すなわち、ヨーロッパのなかで移民を制限する政策に転回する国が増加しているというのである。

現実に、地方公務員が、地方の一般的な所得よりも高い賃金を得ることができるのは、地方の他の住民に課税しているからではなくて、都市からの所得移転があるからである。そのような所得移転が、もし正当化されるのであれば、それは特定の人々ではなく、地方の住民に一律に分配してしまうべきものであるだろう。BIはそのようなものである。

政策をめぐる議論が混乱する大きな理由は、目的の正しさと効果の正しさを混同することにある。

足場や床柱の需要がなくなり、美しい木目に高値がつかなくなると、吉野の林業モデルは立ち行かなくなる。それでも下刈や間伐を続けるのは補助金があるからだ。下刈や間伐をやめても木は自然に育つ。自然に育つに任せれば、コストが下がる。

経済を発展させる要諦は、現状を改善したいという人々の創意をできる限り阻害しないことだ。

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