インターネット、SNSの発達したいま、メディアが果たす役割について考察した本だ。
いまやメディアのニュースの速報性は、現場にいる一般人のtwitterに適わない。
むしろ、現場の一般人のスマホで撮った写真がニュースに採用される時代だ。
こんな時代だからこそ、筆者はメディアがコンテンツを売る時代は終わったと主張する。
むしろ、地域の情報を集積するプラットフォームとしての役割を果たすように勧めている。
コミュニティの世話人となり、地元の情報を綴るブロガーを集めたり、地元に取材して記事を書くなどして、地域住民に貢献することがメディアの役割だという。
良質な記事を書くコストが払えないという意見に対しては、メディアが書く良質な記事は、もう求められていないと切り捨てる。
間違ってもページビューを競ってはならないという主張は独特だ。
地域密着である以上、地域マーケットの外からのアクセスにあまり価値がないという。
しかし、アクセス数が多ければその地域の情報が拡散されるし、マーケット外からの取り込みも可能だ。
マーケット外からでは費用対効果が低いというのかもしれないが、そもそもインターネット広告は費用対効果が刻一刻と集積されて、値段も最適化されるから、そこを意識する必要はないように思った。
やはりみんなが読む記事は質の高い記事だろうし、地元の情報でも価値が低い情報であれば誰も見ないだろう。
医療へのアナロジーをいろいろ考えさせられる内容だった。
一次情報はメディア企業からの発信ではなくなる時代がやってくるとすれば、これから必要になることは、実はシンプルだ。ネット上に溢れる情報の信ぴょう性をチェックし、そこに問題があれば指摘をする、という役割がきわめて重要になる。さらに、「複数の情報を立体的に組み合わせることで新しい見方を提示すること」も重要だ。
情報を提供するだけでなく、利用者にとって目標達成の手助けとなるサービスを提供する。良いサービスを提供するには、利用者との間の緊密な関係の構築が重要になる。利用者との緊密な関係ができれば、ひたすら数、量を追求するビジネスから質を追求するビジネスへと転換できる。
マーケット内のユーザーとマーケット外のユーザーの価値にどのくらい差があるか調べてみるよう言ったことがある。それでわかったのは、前者の価値は少なくとも後者の二〇倍にもなる
コンテンツやサービスが全体として、広く一般に向けたものよりも、一人ひとりの個人に向けたものに変わっていくのは間違いない。
メディアは今後、顧客となる人たちと人間関係を構築するスキルを身につけていかなくてはならない。そのためにまずすべきなのは、人間を「マス」と見る見方を捨てることだ。全体を塊と見るのをやめ、個人や個々のコミュニティを見る。個人やコミュニティを個別に知り、個別にサービスを提供する。
以前は、作る作業はクリエイターの独占だった。
私はジャーナリズムもサービス業の一つだと考えている。コンテンツは、そのサービスに必要な道具だ。サービスには、必ず何か達成すべき目的がある。ニュースを作って流して終わりではなく、ニュースを流したことで得られる結果が重要になるのだ。
コンテンツは最終成果物ではなく、ジャーナリストのビジネスの根幹でもなく、ジャーナリストの提供するサービスやコミュニティで使うツールの一つだと考える。それで人々との関係は変わる。仕事の進め方も変わる。
近隣の人たち同士が、非公開の信頼できる環境で連絡を取り合い、情報を共有できるプラットフォーム
協調は生き残りの必須条件になっている
インターネットはテレビや新聞のような媒体ではなく、単なる「場所」だ。街角やバーと同じようなもの、と思った方がいいだろう。
私自身は、コミュニティに属する人々に体系立った知識を提供するのがジャーナリストの仕事ではないかと考えている。
今後、重要なのは、まず記事の最適な構成要素を集めることだ。
ジャーナリストがすべきなのは、図表を作成することや、プログラムを書くことより前に、ともかく、各方面に広く情報公開を求めることだろう。あらゆるレベルの政府機関に、データの開示を要求する。
ば、もはやメディア企業にとってアプリの開発は自己満足でしかない
多くの人に、それぞれが必要としている質の高い情報を確実に届け、広告をとって利益をあげる、その手助けをする存在が必要だ。
最近では、営利を目的としているか否かにかかわらず、単一のテーマのニュースのみを流すニュース・サイトが増えてきている。ブログやブレッドボックスなどよりは大規模だが、通常の総合的なニュース・サイトよりは小規模になる。たとえば、シリア・ディープリーは、シリアに特化した質の高い報道をすることで高い評価を得ている。
広告料はこの先、上がることはなく、下がっていく一方だろう。新たな技術が生まれ、ビジネスモデルの違う新たな競争相手も参入してくる。従来のメディアはますます陳腐化し、価値を下げていく。
メディア企業は、今後はコンテンツビジネスをすべきではないということを。コンテンツビジネスには将来がない。他のビジネスの支えがないと続けられない。
現在のメディア企業は通常、収益のだいたい八割を二割のユーザーから得ている。ページビューの多くは最も忠実な二割によるものであり、収益機会の多くも彼らから生じる。
有用な情報を提供できるというのは、今でもジャーナリズムの強みではあるが、本書でもすでに書いたとおり、ただ情報を物語のかたちで提供して対価を得るというだけの方法で収益をあげることは難しくなってきている。他の方法を模索しなくてはならない時が来ているのだ。
確かにビジネスチャンスがなくはないと認めてくれる人もいる。だが、そう大きなチャンスではないという。テクノロジー企業ほどの投資価値はないというわけだ。「コンテンツには投資しません」と彼らは口を揃えて言う。
ジャーナリズム企業が求めているのは同情ではなく、イノベーションと投資である。
これまでのように、量、数ばかりに目を向けず、ユーザー、広告主にとっていかに価値ある存在になれるかを考えれば、成功の可能性が高まる。