現在の20代、30代に向けて書かれた本と言っていい。
高齢化、少子化のなかで、日本の経済成長は困難となっている。
これまで福祉を担っていた会社も、すでにその力を失いつつある。
そのなかで、若手層が海外と連携しながら挑戦を続けることが必要だ。
筆者に言わせれば、失敗のない場所から、挑戦する人たちの足を引っ張るのは、屈折した童貞のヒガミでしかないのだろう。
童貞とサブカル。双方に相通じるのは、「失敗」のないゆるい場所に逃げ込んでいるということです。
1990年前後から、国民の収入全体に占めるトップ1%、5%の富裕層のシェアは右肩上がりで拡大しています。それに対して、中間層の実質所得の中央値は、20年前と同じ水準に留まっています。つまり、中間層はちっとも豊かになっていないのです。
格差の水準を示す「ジニ係数(数値が高いほど格差が大きい)」は2000年前後から一貫して上昇。イギリス、ドイツ、日本など他の先進国と比べても、米国の格差の大きさは際立っています。
ブレグジットに続く、まさかのどんでん返し。トランプの勝利は、歴史のターニングポイントを示唆しています。 そのもっとも大きい意味は、「グローバル化の進行」の終わりです。
た。とくに、グローバル化により潤ったのが新興国です。中国を筆頭に、多くの人々が貧困から抜け出し、中間層へと成長していきました。世界経済全体で見た場合、グローバル化は確実に富を拡大させました。 しかし、前述の通り、そのメリットに先進国の中間層は十分にあずかることができませんでした。
先進25ヶ国において、2005~2014年の間に、収入が停滞・低下した家計の割合(加重平均値)は65~70%に到達。とくにイタリアに至っては97%に達し、米国も81%、英国も70%に上っています。
そうした中間層が、グローバル化に反対し、保護主義を支持したのは、ある意味自然な流れと言えます。
経済学者の野口悠紀雄氏が著書『1940年体制』で喝破しているように、日本の経済システムの骨格は、1940年に創られています。
日本の主たるOS(オペレーティングシステム)は未だ戦前仕様なのです。
人材には3つの段階がある。 ひとつ目が「今日の延長にあさってがある」と考えるルールフォロワー。彼らは、今の勝ち組、負け組をトレンド解析して、勝ち組のまねをする。 2つ目は、「今日の延長ではあさっては苦しい」と考えるルールブレーカー。彼らは今のあこがれのモデルをどう壊すかを考える。 3つ目が、「今日の延長にあさってはない」と考えるルールメーカー。彼らは自分で将来の場を創り出す。
「日本1・0」とは、日本が近代国家として産声を上げ、日露戦争でピークを極めた後、敗戦という破滅を迎えていく「日本近代の第1のサイクル」です。
次に、「日本2・0」は、敗戦(1945年)から2020年までの日本近代「第2のサイクル」を指します。
そもそも、「ガラガラポン」という言葉の語源は、くじの入った箱を振ったり回したりして、くじを振り出すときの「ガラガラポン」という音にあります。そこから転じて、社会のシステムを根底からガラッと変えたり、組織の人員配置をすっかり入れ替えたりすることなどの意味で使われるようになりました。 日本は制度や慣習が一度固まると、なかなか変わらない国です。しかし、マグマをためこむ分、いざ変わるときは猛スピードで変わります。 そんな日本社会において、「ガラガラポン革命」の実例が近代において2回あります。それが、明治維新と敗戦です。
下克上」という点では、戦後、GHQによる公職追放により政官財のリーダーたちが相次いで失脚。リーダーの世代交代が強制的になされました。 たとえば、経済界
今後、既得権を失う「おじさん」と、時代の追い風をうける「女性」の出世争いが過熱していくはず
では、第3のガラガラポンによってもたらされる「日本3・0」の主役となるのは誰でしょうか。 結論から言うと、今の30代だと思います。
過去の否定と自助自立。それが、ナナロク世代以降の特徴です。
は「2030年までに、2ヶ国、もしくは3ヶ国にまたがる大都市が少なくとも40都市は誕生する」
が、国家が基本インフラをしっかり提供できなければ、さまざまな保護を家族に頼らざるを得なくなり、家庭の格差がそのまま個人の格差になります。中国社会のように家族への依存度が高まり、自立できなくなってしまうのです。
国民国家がしぶとく残ると思うもうひとつの理由は、国民国家なき後の世界が、不安定で平和に程遠いことを、世界中の人々が目の当たりにしているからです。
インターネットやソーシャルメディアなどの新しいテクノロジーは、既存の秩序を壊すのは得意です。しかし、新しい秩序をつくる魔法の杖にはならなかったのです。
歴史上、戦争や紛争がもっとも起きやすいのは、地域に新たなスーパーパワーが生まれたときです。国力を増す新興勢力は、ほぼ例外なく既存のパワーに挑戦します。 その典型が、かつて米国に戦争を挑んだ日本です。
しかも中国には時間がありません。高度成長が続くのはせいぜい2025年まで。その後は労働人口の減少もあり、経済が減速し、バブル崩壊のリスクが一層高まります。そのタイムリミットまでに中国が取れるものを取っておこうと考えるのは合理的です。
長期的には、たとえば2050年になれば、世代交代も進み、中国も勃興期を完全に終えるでしょう。
日本の場合、人種に多様性がなく、国土が狭く島国でもあるため、カントリーも含めた3つの国の概念が重なりやすい。自然と一致してしまう。それゆえに、国民国家という枠組みに馴染みやすいのです。一方、中東は、カントリーも、ステートも、ネーションも全部バラバラなため、国民国家ができにくいのです。
2016年4月時点の読売新聞の販売部数は899万部で朝日新聞は660万部。
いくらいい戦略、アイディアがあっても、その運用、実施が遅く、稚拙だったがゆえにつまずいた企業がたくさんあります。よい戦略と統治がそろったときに、国家も企業も繁栄するのです。戦略と統治は両輪なのです。
経済オンチぶりが甚だしい「戦後リベラル」は、もはや時代遅れです。弱者を助けることはもちろん大事ですが、そのためにはまず稼がないといけないというリアリズムが希薄です。
今の日本に必要なのは、小さい政府志向でローカル志向の「真・保守主義」と、小さい政府志向でグローバル志向の「リベラルイノベーター」です。
経済に関しては、小さい政府とグローバリズムを支持し、規制緩和を求める一方で、社会問題に対しては、伝統にとらわれることなく、合理主義、理性で考えます。
社会に貢献する問題意識、責任感に乏しいのです。今後、イノベーター層が本当に社会の中心を狙おうと思っても、「公共性」を持たない限り、いつまでもマイナーなままで終わってしまいます。
タレブはテクノロジー業界のナードたちとの交際は退屈だと皮肉っています。その理由は、ナードの多くがエレガンスさやチャーミングさに欠け、人間に対する興味が薄く、文学的な教養に欠けるからです。人間性に対する洞察が浅いため、ナードたちの描く未来は、どこか歪んでいると彼は述べます。
重要なことは、「テクノロジー」と「歴史」を深く知り抜くことです。テクノロジー、人間性、伝統を融合させることです。 その意味で、「リベラルイノベーター」はもっと歴史を学ぶ必要がありますし、「真・保守主義」は、テクノロジーにもっと精通しなければなりません。
普段の生活では、国と個人と家族の間にある「中間共同体」が必要になります。
ひとつの選択肢は会社でしょう。
最先端と言われるシリコンバレーでも、昔の日本のような、手厚い福利厚生を整える企業が増えています。
いろんな居場所で、アイデンティティのポートフォリオを組むような形になっていくということです。
これから数十年間の世界経済は、規模という点では、米国、中国、インドが3強となり、その後に、日本、英仏独伊、ブラジル、ロシア、韓国などが続く構図が基本となるはずです。
中国、インドともに、歴史上ほとんどの期間で、一人当たりのGDPが世界平均を下回っています。両国は昔から、国としては大きくても、国民一人ひとりは貧しいのです。
新しいサービスや製品の開発(プロダクトイノベーション)により、労働生産性を上げることができれば、人口減少下でも経済成長はできるということです。
事実、戦後の日本経済において、人口の伸びと経済成長は必ずしも比例していません。高度経済成長期に、日本経済は毎年平均9・6%成長していますが、同期間の労働人口の平均増加率はわずか1・3%でした。すなわち、成長の大部分はイノベーションによる労働生産性の向上によってもたらされたのです1。
他国に比べて、スタートアップ文化を重視する姿勢が弱く、イノベーションのために他社とコラボレーションすることにもあまり積極的ではありません。「
現在、スマホで使っているのは「3G」「4G」ですが、2020年をメドに、「5G」へと進化する見込みです。これにより、通信容量は1000倍になり、動画などの重いデータもさくさく見られるようになります。
AIはコモディティ化する、AIではさほど差がつかなくなると読んでいます。なぜなら、グーグルを筆頭に、AIの技術をオープンに公開する傾向が加速すると見ているからです。
AI単体では勝負することはできなくなり、「ハードウエア×AI×ネットワーク」といった融合領域こそが差別化のカギとなります。
現在、スタートアップの目標は、ビッグ5と戦うことよりも、ビッグ5に買収してもらうことになっています。
日本ではベンチャーキャピタルがさほど発達していないため、アクセルを全開で踏むための資金を十分に得られません。かつ、人材マーケットが硬直的なため、急拡大しようにも、なかなかいい人材を大量採用できません。そのため緩やかにアクセルを踏んでいるうちに、覚醒した大手企業に追撃されてしまうのです。
現在のスタートアップ業界で、本気で世界を狙えるポテンシャルを感じさせるのは、LINEと医療情報サイトのエムスリーとフリマアプリのメルカリぐらいです。
東京における東海岸とは、丸の内・大手町や霞が関など、財閥系企業や大企業、官庁が集まる、エスタブリッシュメントたちの場所です。一方の西海岸というのは、渋谷や恵比寿、六本木など、IT、スタートアップ、クリエイティブ系の企業が強いエリアです。
斎藤氏は「言語依存度が低い。文化依存度が低い。ユニーク度が高い。その3条件を満たす日本企業であれば、世界でも戦える」と話します。
海外経験の効果は、複数の研究でも実証されています。欧州1のビジネス・スクールである仏INSEADのウィリアム・マダックス准教授は、同校のインターナショナルMBAプログラムの学生を対象に調査を行い、「海外経験がより豊富で、2つ以上の国にアイデンティティを持つ人のほうが、問題解決力、創造性が高く、新しいビジネスや製品を生み出すのがうまく、出世も早い」という傾向を見出しています。海外経験が、柔軟性、創造性、思考力を育むのです7。
その意味でも、サムスンの地域専門家制度はヒントの宝庫です。 サムスンは1990年から地域専門家制度をスタートさせ、すでに世界中でのべ4500名の専門家を育成しています。派遣国は、欧米、アジア、アフリカ、中東までさまざまです。社員は、希望する国や地域で1年間、業務から完全に離れて滞在。自分で一から活動計画を立て、生活基盤をつくり、現地の文化やビジネスを学んでいきます。
コンサルティング会社、プライスウォーターハウスクーパース・ストラテジーの調査によると、2014年の新任CEOの世界の平均年齢は52歳。それに対して、日本は62歳です。世界標準より10歳も老いているのです。
経営者に関する取り組みの中で、とくに重要なのが経営者候補の育成です。今
公共性とワクワク感のあるビジョンを語れるリーダー。時代を的確に読んで、大胆な投資を決断できるリーダー。明るさとチャーミングさを備え、みなを鼓舞できるリーダー。
オズボーン准教授の論文は米国を対象にしたものでしたが、その後、日本に関しても野村総合研究所と組んで601の職業について同様の分析を行っています2。 その調査によると、日本の雇用のうち49%がAI・ロボットに代替される可能性が高いとの結果が出ています。この数字は、米国の47%、英国の35%をも上回る比率です。
まず、「消滅リスクの低い仕事」は、医者、先生、編集者、アートディレクター、コンサルタント、バーテンダー、保育士といった、人とのコミュニケーションが必要であり、経験・アイディア・機転が求められる仕事です。 一方、「消滅リスクの高い仕事」としてわかりやすいのは、受付係、タクシー運転手、レジ係、データ入力係、自動車組立工といった仕事です。これらの定型化しやすい仕事は、駅の切符切りの人たちが自動改札になってお役御免となったように、徐々に減っていくでしょ
AIがもっとも苦手とするのは〝判断〟です。将棋やチェスといった限られたフィールドであれば人間を超える判断ができますが、仕事における判断は、先見性、論理、直感、社内政治、運などあらゆる要素が凝縮されたものです。そうしたマネジメントの判断は、当面の間、AIでは難しいでしょう。
ば、「決めるプロ」と「サポートのプロ」と「チーム作りのプロ」と「売るプロ」と「伝えるプロ」と「創るプロ」と「買うプロ」。
日本のビジネス界の特徴は、ナショナルリーダーの層はかなり分厚いものの、グローバルリーダーとのギャップが大きいことです。世界第3位の経済大国であり、なまじっか国内市場が大きいため、ナショナルリーダーの立場でも満足してしまう人が少なくありません。
日本の将来は、ナショナルリーダー層の中から、どれだけの人数がグローバルリーダーにステップアップできるかにかかっています。
ポイントになるのは、『変化をどうとらえるか』です。私は海外で7年間過ごす中で、変化し続けることが会社や個人の価値につながることを強く実感しました。
イノベーションを起こし続けるには、スリー・ホライズンといって、今から3年か5年後、ひいては10年後のイノベーションを考える必要がありますよね」
「海外トップ大の学生に人気があるのは、経済と哲学とコンピューターサイエンスです。この科目が三種の神器になっています。
清藤さんはこうした尖った施策を、うまく〝社内調整〟することで巧みに実現しています。清藤さん曰く「縦横ラインのマッチングストーリー」を創ることで、うまく周りを巻き込んでいるのです。 「私のやりたいことはこれだと決めたときに、それを達成するために、誰に協力を仰ぐべきかを、縦(上下)と横(部署間)のラインでひもづけていく。そして、それぞれの人の立場に立って、協力してくれるとこういうメリットがありますよ、というストーリーをつくっていくのです。そこを丁寧にやれば、社内調整はそんなに大変ではありません」
スタートアップ出世型」にとって、もっとも重要な判断は「どのスタートアップに入るか」です。 その判断のポイントはいたってシンプルです。創業者。これに尽きます。一にも二にも三にも創業者です。中でも、私がとくに重視すべきだと思うのは、創業者の「能力」と「ビジョン」と「欲望」です。
自分を超えた欲望、社会のために何かを成し遂げたいという公共心があるかどうかが「第2のリトマス試験紙」となります。 この2つの試験紙をパスできる起業家は、天然記念物並みに稀有です。
ここまで10パターンのキャリアを紹介してきましたが、どれかひとつの道を選ぶ必要はありません。今後はむしろ「融合型」こそがもっとも有望です。
今後のキャリアを考える上でのキーワードは「両利きのキャリア」です。専門、価値観、人脈などをひとつの領域に限定せず、2つ以上持つことが強みになります。その2つが相互補完的であれば、なおさらプラスです。
詳細はぜひ早稲田大学ビジネススクールの入山章栄准教授の『世界の経営学者はいま何を考えているのか』を読んでほしいのですが、簡単に言うと、イノベーションを起こすために、「知の探索」と「知の深化」の両方が必要だということです。
が……)。 「日本3・0」時代のキャリアにおいては、「多動であること」がプラスになります。パンクするほど多くの領域に手を出すのは考えものですが、多少のキャパシティオーバーは気にせずに、とにかくフィールドを広げてみてください。「多動
初等・中等・高等教育の改革をすべて経験してきた、前出のベネッセの藤井氏もこう語ります。 「いちばん変えないといけないのは大学教育。大学が質の高い教育をできていないので、結果として大学を出たタイミングで人材が劣化してしまっている。それを企業が研修して、現場で鍛えて、どうにか戦力にしているのが今の構造。大学を変えない限りは何も変わらない」
大学の力は、最終的には「歴史」と「財力(お金)」で決まります。このうち、日本の大学には「歴史」はありますが、「お金」がありません。
教育面で米国に学ぶべきは、教養教育です。この分野の強化なくして、高等教育を「日本3・0」へとアップデートすることはできません。
第3章で私は「日本の起業家にはビジョンがない、もしくは、ビジョンが弱い」と指摘しましたが、その根本にあるのも教養の差です。世界や人間がどう成り立っているのかを、古典や歴史や最新科学を通じて学ばないかぎり、世界を変えるイノベーションを起こすことなどできませ
古典や哲学はエリートの必須科目なのです。
一般的に、欧州では教養教育は高校までにやるというシステムを取っており、大学では、今の日本と同じように専門教育に軸足を置いています。
リベラル・アーツ・カレッジの教師は、基本的に研究活動を行わず、教えることに特化しています。教育にかけるエネルギーは、一般の大学より断然上です。教育環境が恵まれているだけに、学費はどこも年間4万~5万ドル程度かかりますが、奨学金が充実しているため、お金持ちの家庭でなくても入学することができます。 リベラル・アーツを学んだ学生の評価は高く、ロー・スクールでは、学部時代に、数学、古典、文学といった教養系の学問を修めた学生のほうが、経済学やビジネスといった実践的な学問を専攻した学生よりも成績が良いという結果も出ています。
そもそも私は、「知的筋力」と「自分で考える力」を育むには、3つのクセが必要だと思っています。それは、勉強グセ、読書グセ、対話グセの3つです。
「読書グセ」に加えて、不可欠なのが「対話グセ」です。他者と対話をしながら、新しいアイディアを生む、自分が当たり前と思っていた考えを疑う、そうした手法を体得している日本人はまだ多くはありません。この3つのクセを育むために、米国の教育は非常に効果的です。体系化された形で、「疑う力」を育むことができます。
理想とする日本型教養人のモデルのひとつは福澤諭吉です。彼は単なる西洋かぶれではありません。そのバックボーンには漢学の素養があります。漢学をベースに、まずは蘭学を学び、英語を学び、日本的、西洋的な教養を統合していったのです。
素質のありそうな人には、かなり若いときからタフなアサインメントを割り当てて、意思決定の経験を積ませるとともに、その結果責任も負わせたほうがいい。
「これまでのあらゆる社会において、教養ある人間は飾りにすぎなかった。それは、敬意と冷笑の二つのニュアンスが込められたドイツ語のクルツール(文化人)だった。知識社会では、この教養ある人間が社会のシンボルとなり、基準となる。教養ある人間が、社会学でいうところの社会モデルとなる。彼ら教養ある人間が社会の能力を規定する。同時に社会の価値、信念、意志を体現する。 封建時代の騎士が中世初期における社会の代表であり、ブルジョアが資本主義時代における社会の代表であったとするならば、教養ある人間は、知識が中心的な資源となるポスト資本主義時代における社会の代表である3」 勘の良い人であればすぐに気づいたと思いますが、この言葉は、ピーター・ドラッカーによるものです。彼は、いちはやく、これからのビジネス社会において、教養がモノをいうことを見通していたのです。
われわれが真に必要とするものは多様な専門知識を理解する能力である。そのような能力を持つ者が、知識社会における教養ある人間である。 われわれは専門知識のそれぞれに精通する必要はないが、それが『何についてのものか』『何をしようとするものか』『中心的な関心事は何か』『中心的な理論は何か』『どのような新しい洞察を与えてくれるか』『それについて知られていないことは何か』『問題や課題は何か』を知らなければならない5」
①関連づける力:知識分野、産業、地理を超えた意外な結びつきを生み出す力 ②質問力:破壊的な質問を通じて、新しい洞察や可能性、方向性を誘発する力 ③観察力:周りの世界に注意深く目を向け、新しい洞察やアイディアを得る力 ④人脈力:多様な考え方を持つ人々との交流を通じ、アイディアを見つける力 ⑤実験力:つねに新しいアイディアを試し、さまざまな仮説を検証していく力
です。「関連づける力」とは、まさしく教養、リベラル・アーツの神髄です。
進化論のチャールズ・ダーウィン、コンピューターの父チャールズ・バベッジ、現代ジャズの帝王マイルス・デイヴィスといった、偉人たちを分析してわかったのは、「多趣味な人が多い」ということでした。 「彼らには本業がある一方で、世間にはあまり知られていないプロジェクトを5つも6つも持っており、常に思考を巡らせていた。そのため、一人でいる時にも多様な経験を積むことができた。これからの組織で最も貴重な人材は、境界を跨ぐことに喜びを見出せる人物だ」とジョンソン氏は説明します。 この多趣味の中に、芸術が入ればベストです。芸術は教養の最たるものですが、アートが生活に入り込んでいるかどうかで人生の質が変わってきます。
日本人とメノンは、いろんな知識を持っていても、それは表面的で、その知識の源泉、その根本、原因を押さえていません。プロセスを考え抜いたうえでの知識ではないので、ちょっとつっこまれるとあたふたしてしまいます。 一方、ソクラテスの言う知識とは、原因の推論によって縛りつけられた知識です。そうした知識であれば、応用も利きます。
弁論が対象とするのは「未来を扱うもの」なのです。弁論術は、何が真実かを哲学的に追い求めるものではなく、何が将来のベストな選択かを考える実用的なツールなのです。
未来形の時制を意識することによって、より生産的な会議を行うことができるのです。
ひとつ目は、論理(ロゴス)です。脳、理性に訴えるということです。
2つ目は、感情(パトス)です。他人の気持ちを読み、心に訴えかけることです。
3つ目は、徳(エトス)です。本能に訴えることです。
いちばん差がつきやすく、わかりにくいのは徳です。ここでは、徳に絞ってより具体的な方法論、ノウハウを語っていきます。 まず、もっとも初歩的かつ重要なのは外見です。
人にうまく伝えるためにとりわけ大切なのが、メディアの使い分けです。
パトスとエトスをうまく伝えるのに効果的なのが、贈り物です。
古来、男を鍛えるのは、女(恋愛)、仕事、貧乏、戦争、牢獄暮らしだと言われていますが、そのどれもが、自分のアイデンティティを強烈に揺さぶります。くだらない自尊心が吹き飛ぶような経験です。
デレズウィッツ氏が、孤独力を磨くために薦めているのが読書です。とりわけ古い本を読むことです。