【本】17007『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』片山杜秀

投稿者: | 2017-01-19

大学入試という一つの問題をきっかけに、それに関連する歴史をおさらいすることができる。
解説が詳しいので、その歴史を知らなくても理解することができる。

中世を代表する神学者トマス・アクィナスは「お金を儲けたら、すぐに使うように。それが神の教えだ」と唱えたほどです。中世の教会というと、禁欲・節制のイメージがありますが、消費よりも蓄財の方が罪が重い

スイスのジュネーブもそうでしたが、オランダには、スペインやフランスといったカトリックの勢力が強い国にいられなくなったプロテスタントが、民族や言語を問わずヨーロッパ中から集まってきました。そのため狭い国土に知的な集積が起こった。グロティウスやスピノザ、デカルトは、そんな環境で刺激を受けたからこそ、才能を開花させることができたのではないでしょうか。

第二次世界大戦によって、ヨーロッパの一流の知性や芸術家が大挙して、アメリカに移動し、東海岸や西海岸に集い、様々な分野で非常に大きな革新が起きました。同じことが一七世紀のオランダでも起きていたように思う

何もないところから、第一次世界大戦のあまりにも悲惨な結果を反省した国々が、ウィルソンの理念に共鳴して、集まってできたのが国際連盟

国際連合とは連合国なのですね。英語ではどちらもユナイテッド・ネーションズです。その下では、当然、日本とドイツは「敵国」であり、常任理事国にもなれません。

儒教は中原の思想となり、道徳や規律や秩序を重んじることで、何とか勝手気ままな江南を統御しようとしてきた。

科挙は「正解」を一つに定め、権威や権力を皇帝と官僚に集中させ、一元化させるための制度だからです。科挙の下の教育制度では、基本的には「正解」に対する批判は許されません。

京大は東大の「正解」を批判し、異論を唱えることに自らの存在意義を見出してきました。

北から南に攻め入って中国全土を平定するのが、中国史の必勝パターン

国民党に勝てたもう一つの理由は、「中国の人口の圧倒的多数を占める農民を味方にしなければ、最終的な勝者にはなれない」という法則に、貧しい農村出身だった毛沢東が気づいていたことです。毛沢東は「農村から都市を包囲する」戦略を採り、農民が革命の主役であることを常にアピールして、その支持を集めていきました。

実際の権力は共産党指導部が掌握しているにもかかわらず、農民に自分たちが権力の主体であり、新しい国の主役であることを信じ込ませた

毛沢東は常に農民の前に立ちはだかる社会全体の敵やノルマを設定して、それに勝ったり、乗り越えたりする運動を演出しました。そのような疑似戦争・革命に参加している間は、農民は実際は搾取されていても、自分たちが主役だと錯覚できます

蔣介石の国民党と毛沢東の共産党という、水と油と思われていた二つの勢力が「日本憎し」で手を組み、それが意外と長持ちした。それを予測できなかったことが、日本の中国大陸での失敗をもたらしたと言っていいでしょう。

明治憲法の欠陥がどこにあったかといえば、この下部組織群があまりに多元的でまとまっていなかったことでしょう。天皇に対して、互いに横並びだったのです。議会は貴族院と衆議院の二院制でどちらが優位ということはない。

明治憲法の仕組みを運用すると、自然とそのような独善的な組織が我を張り合うタコツボ型の権力分立構造が生まれてしまう

縦割りの組織群を上からみて、大局観を持って、ヨコの連携をとっていたのは、「元老」と呼ばれる明治政府の創設者たちでした

日本史において、西国的発想は最後には必ず東国に敗北してしまいます。

点が線になり、面になるばかりか、離れた点や面も本願寺の下に結集し、手足のように動いていた。たとえていえば、革命を起こすために中国全土に展開していた中国共産党や中東を中心に今や世界各地に散らばるイスラム国を彷彿とさせるネットワークが、戦国時代の日本に形成されていた

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。