アジア最貧国と言われるバングラデシュは、洪水やサイクロンなどの災害も頻発する。その災害支援のためにできたのが、BRACだ。今や、世界最大のNGOと言われている。
本書は、そのBRACの創設者、アベッドに関する話。
BRACのことを述べる前に、まずはバングラデシュの歴史について説明が必要だろう。
世界の混乱地域のご多分に漏れず、バングラデシュも英国によってかき回されたという歴史がある。
“六〇年間、東ベンガルは、初めはイギリス領インドによって、そしてのちにはパキスタンによって、政治的にも経済的にも社会的にも、僻地として扱われ続けた。”
最初はインドからパキスタンが独立するとき、西パキスタン(現パキスタン)+東パキスタン(現バングラデシュ)という分割した地域ができた。東西では宗教こそイスラム教だったが、言語も文化も民族も異なる地域だった。その後、公用語や政治、経済などすべてが西側に支配されたせいで、東側の不満から独立への機運が高まり、バングラデシュ独立戦争によって独立を勝ち取った、というのがバングラデシュ立国までの歴史だ。
バングラデシュの国旗は日本をモデルと言われることもあるが、緑色の豊かなベンガル高原に戦争で流された血が表現されているもので、独立に至るまでの血生臭い歴史を読み取ることができる。
現与党のアワミ連盟は親インド的、野党のBNPは親パキスタン的と言われるようだが、上記の歴史を踏まえて考えると、両者の対立は根深い。
バングラデシュの経済成長が、他のアジア諸国に比べて遅れているのも、このような政治対立も一因だ。
さて、BRAC。貧困層へ投資して自立を促すプロジェクトが有名だ。
換金性が高く、土地に適していて、市場へのアクセスが確保できるような商品作物や家畜を考えて、普及させてきた。
有名なのは、マイクロファイナンスだろう。数千円単位の少額融資をすることで、農業への原資を提供することができる。この分野で有名なのは、ユニクロと提供するなどしているグラミン銀行だ。
しかし、BRACとグラミンは少し立場が異なる。
グラミンは、融資された側がどのように使おうと自由で、独自の発想でビジネスを成立させることを重視している。
一方BRACは、より積極的に介入を行う。ニワトリの改良種を提供したり、商品作物の種を提供することもある。
特筆すべきことは、BRACの公衆衛生分野への貢献度の高さだ。
下痢、と聞くと日本では大したものではないが、下痢性疾患は、発展途上国では命を奪う疾患である。
日本でも、幕末にはコレラの流行で大量に死亡するなどしていた。
死因は、要するに脱水だ。
これに対して、点滴などは製剤も高いうえに手技のハードルもあるため、農村部や貧困層では対応できない。
登場したのが、経口補水液だ。いまでは薬局でも購入可能だが、1978年当時には、Lancetから「二十世紀最大の医学的発見かもしれない」というくらいのパラダイム・シフトだった。
水に溶かすだけの製剤が登場し、世界中にばらまかれた。その値段は、一つ〇・〇八ドル。
“しかし、一パック〇・〇八ドルですら、それを最も必要とする人々にとっては高価すぎ、無料配布するにしても、総コストが保健省で賄える範囲を超えてしまう。”
さらにサプライチェーンの問題もあり、このような安価な製剤ですら、途上国の貧困層には届けられない。
そこで、BRACが行ったのは、「経口補水液の作り方を教える」というものだ。
要は、少量の塩と糖分を水に加えればいいだけなので、十分に可能である。
詳細は省くが、識字率も低い地域で、正しい分量での経口補水液の作成方法を普及させたBRACの業績は大きい。
他にも、女性による村落保険ワーカーによって、かんたんな医療を提供することに成功するなど、医療面での成功例は多い。
資源が少ない国だからこそ、必要最低限のことを効率的に行うことができるのだろう。
日本でも、見習うべきところがあるのかもしれない。