日本史を、経済的な視点から捉えようとした本。
特に、古代の歴史から掘り起こしているのは面白い。
蘇我氏は、朝廷の財政に食い込むことで台頭し、権勢を振るっていたが大化の改新で殺される。
そのときからすでに、日本流の”「それなりの地位にある人間が国家のことを思って権力者を倒し、革命を起こす」”という革命方法がとられている。
武家の台頭も、平家のように貿易を握って力をつけたグループと、郡司として地方の徴税の実務を担った豪族が台頭したグループと二種類に分けられる。
頼朝は、朝廷が管理していた地方を、豪族自身が統治してよいという社会経済に変革するという大義で、後者グループの支持を集めた。
室町幕府の弱みは直轄領が少なかった。対して、江戸幕府は最大の大名であり直轄領が多かったことから、経済的地盤が強かった。
戦国時代、港が近く経済力のあった織田家、陸の孤島で経済封鎖に弱い武田家。海外貿易の港のうち最も東にあったのが堺。ここをおさえると、堺以東の大名は硝石を輸入できない。
毛利家は石見銀山を抱えて経済力もあったが、「石見銀山は公用のもの」と考え使わなかったために経済力を発揮できず。
延暦寺は最大財閥の一つ。大量に集められたコメを原資に金融業を営んでおり、1370年には、比叡山の債権取り立て人が公家の家に押し入ることを禁止する令まで出たほどである。
豊臣秀吉の直轄領は222万石で家康の250万石より少なかったが、全国の主な金山銀山を握っており、実質は520万石分の経済力があった。
太閤検地の驚くべき所は、指出検地でなく実測による検知をおこない、かつ田畑の所有者、納税者を特定したこと。
戦国から江戸時代中盤にかけて大阪は天下を治めるうえでもっとも適していた。
享保の改革時点でさえ、テーマの一つが「大阪経済圏の独立」であった。
江戸時代は、初期と後期を比べても、社会の仕組みや階層が、ほとんど変わっていない。
武士の没落、商人の台頭を防ぐために、だいたい50年周期で武士の借財を帳消しにした。
江戸時代の記録では全国の収穫量は3222万石だったが、明治時代の地租改正時点では4684万石あった。”実際の石高は、名目の1・5倍もあった”。
近代に入ってからの経済力の重要性はいまと変わらない。
日清戦争の軍費は外債を発行せずに国内への軍事公債の発行で賄った。
日露戦争の外債は、高橋是清らの努力で消化したのは、坂の上の雲にも詳しい。
太平洋戦争では、公債を発行して日銀がそれを引き受けて紙幣を刷るという禁じ手を使った。
経済の観点から見るのはなかなかおもしろい。
どんな戦争でも、ヒトとカネで負けていれば勝てるわけがない。